【御詠歌】
国を分け宝を積みて建つ寺の
末の世までの利益残せり
画像1は木造薬師如来立像。その他の文化財としては半鐘などがある。
外観は素朴ながら、古雅で閑寂の気品を備えている。※画像2
国分寺の歴史・由来
土佐の国分寺といえば、平安中期の歌人、紀貫之(868〜945頃)が浮かんでくる。とくに貫之が著した『土佐日記』は、女性の筆に託して書かれた仮名日記であることはあまりにも有名であるし、貫之が国司として4年間滞在した国衙は、国分寺から北東1㎞ほどの近くで「国分寺共々土佐のまほろば」と呼ばれ、土佐の政治・経済・文化の中心地であった。
聖武天皇(在位724〜49)が『金光明最勝王経』を書写して納め、全国68ヶ所に国分寺を建立したのは天平13年のころ。土佐では行基菩薩が開山し、天下の泰平と五穀の豊穣、万民の豊楽をねがう祈願所として開創された。歴代天皇からの尊信が厚く、加護をうけてきた。
縁起によると、弘法大師がこの地を巡錫したのは弘仁6年(815)のころで、毘沙門天像を彫造して奥の院に安置された。その際に本堂で真言八祖に相承される厄除けの「星供の秘法」を修められた。以来、土佐国分寺は「星供の根本道場」となっている。
本尊千手観世音菩薩を祀る国分寺の本堂(金堂)は、長宗我部国親元親親子が、永禄元年に再建。外観は柿葺き、寄棟造りで天平様式を伝え、内部の海老紅梁は土佐最古といわれ、室町時代の特色が見られる。現在国の重要文化財に指定されている。また、仁王門は明暦元年(1655)、土佐2代藩主・山内忠義公の寄進で建立され、現在の仁王門は昭和の初めに再建され、二層造りである。1250年余の面影を残す境内地は、全域が国の史跡に指定され、杉苔が美しい庭園で「土佐の苔寺」ともいわれる。
国分寺の見どころ
国指定文化財・金堂・庭園、句碑(本堂を背にして、春は桜・牡丹、初夏には紫陽花、秋には萩と、心やすまる参道、創建当時の七重塔の心柱をささえた礎石、杉苔の美しい庭園が広がる。また、高浜虚子の五女・高木晴子さん、長男・年尾さん、孫・稲畑汀子さんの句碑などがある。)・弥生時代の住居跡(昭和52年の発掘調査で発見。)
国分寺の年中行事
- 節分星祭り
- 日時:2月3日
- 花まつり
- 日時:旧4月8日
- 十七夜祭(お盆総供養)
- 日時:旧7月17日
- 御影供
- 日時:毎月21日
- 不動護摩供
- 日時:毎月28日
- 大晦日除夜の鐘
- 日時:12月31日
第29番札所 摩尼山 宝蔵院 国分寺
(まにざん ほうぞういん こくぶんじ)
- 宗派
- 真言宗智山派
- 本尊
- 千手観世音菩薩
- 開基
- 行基菩薩
- 創建
- 天平13年(741)
- 真言
- おん ばざらたらま きりく
アクセス情報
- 所在地
- 〒783-0053 高知県南国市国分546
- 電話
- 088-862-0055
- 駐車場
- 普通/45台・大型/5台(無料)
- 宿坊
- なし
- 公式HP
- http://www.tosakokubunji.org/
南国インターチェンジから、国道32号線を南国方面へ、道の駅南国の前を左折し、県道45号線に入ります。約2km走り、バス停国分寺通りを右折し約400m走ると右手に見えてきます。
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