よくあるご質問

目次

四国霊場をお参りする際に番号の順番通りにお参りしないといけないのでしょうか?

必ずしも順番通りにお参りしなければいけないというものではありません。どの番号から始めて、どの順路でどの様にお参りするかはお遍路さんの自由です。但し市販されている案内本や行政や諸団体が設置した案内看板などは1番から88番に向けて多くあります。

遍路用品は最初から全部そろえた方が良いですか?

必ずしも最初からすべてそろえる必要はありません。最初はお遍路さんの証である納経帳や白衣など基本的なものをご用意いただき、巡拝につれて必要だと思ったものを、その都度ご用意いただくことも可能です。

お参りの際に読むお経は決まっているのでしょうか?

必ずしも決まったものがあるわけではありませんが、霊場会では基本となる巡拝作法をお勧めしていますので、そちらをご覧ください。
読経方法はこちら

お納経をお参り前に取っても良いのでしょうか?

基本的にはお納経は仏様やお大師様にお経を納めた(読経した)証としていただくものですので、お参りの後に頂くものです。但し閉門時間が近い場合には、その旨を伝えて事前にいただく事が可能な場合もあります。
また、事前に写経した写経紙を納めることでも読経の代わりとして経を納めた証となります。

お参りの際に必ず本堂からお参りしないといけないのでしょうか?

基本的には本堂からですが、お参りの際に混雑しているようであれば、他のお堂をお参りしてからでも大丈夫です。

錦、金、銀の納札を持ち帰りたいのですが、納札入れから取っても良いのでしょうか?

納札入れから上記の札を持ち帰るのは、お勧めできる行為ではありません。それらはお参りされた方が仏様やお大師様にお供えしているものです。道中で縁あっていただいたものや、納経所などでお尋ねになり、お渡しできるものがあればいただけます。

お線香やお蝋燭をお供えする際に、決まりはあるのでしょうか?

お線香はなるべく中心に近い所から、お蝋燭は上の段からお供えすると、後からお参りされる方の妨げになりません。
またお線香に火をつけた際の、マッチの燃え残りなどは香呂に入れないようにしましょう。香炉は仏様やお大師様にお線香をお供えする場所です。
お線香をあらかじめ数本ずつセロハンテープなどの樹脂性のテープでまとめるのは控えましょう。まとめた所で火が消えてお線香が必ず燃え残り、後からお参りする方の妨げになります。

お遍路さんは霊場を参拝の際に橋で杖を撞かないのはなぜでしょうか?

主にはお大師様の十夜ヶ橋(とよがはし)のお話が基となっています。
言い伝えによれば、お大師様が四国を巡錫中この地で日暮れを迎えましたが、周囲は田園で、宿泊場所となる民家が見あたりませんでした。
お大師様は小川に架かる橋を見つけ、仕方なくその橋の下で一夜を過ごすことにしましたが、暗く長い一夜が十夜にも思えたそうです。そこで、『行き悩む浮世の人を渡さずば 一夜も十夜の橋とおもほゆ』という歌を詠んだといわれています。
この言い伝えから、四国遍路などでは、お大師様が安眠できるよう巡礼者はこの橋に限らず橋の上では杖をつかないという習慣があります。

お納経にはどの様な文字が書かれているのでしょうか?

主に右側には奉納(経)、中心には各霊場の御本尊、左側には霊場の寺院名が書かれています。

四国霊場をすべてお参りし終えた後にお礼参りは必ずしなければいけないのでしょうか?

お礼参りは社寺にお参りし、その後、ご利益をいただいたお礼に、再度参拝することですが、必ず行かなければならないという強制されたものではありません。 四国遍路の場合は、余裕があれば再度四国遍路をすることがお礼参りとなります。

同行二人(どうぎょうににん)とはどのような意味があるのでしょうか?

お遍路に限らず、日々の日常生活に於いてもお大師様は常に皆さまと共におられますという意味です。

金剛杖に杖カバーは付けた方が良いのでしょうか?

必ずしもつける必要はありませんが、お参りの際に杖の取り違えが多いので、自分のものと分かるように目印になるものや、氏名を記入しておくことをお勧めいたします。

お遍路用品はどの霊場にも置いていますか?

どの霊場にも置いているわけではありませんので、お参りに行く際にご確認されることをお勧めいたします。

鐘楼堂などの鐘は、いつどの様に撞けば良いのでしょうか?

諸説ありますが、鐘は参拝前の合図ともされるのでお参りの前に1度だけ撞くとよいでしょう。もし撞き忘れたとしても帰る際は撞かないとされます。
理由としては「出る鐘」が「出金」ともとれるので撞かない、さらに死者を送る鐘を「でがね」と呼ぶからともいわれています。
鐘はただ大きい音を出せばよいというものではなく、その音色を仏様に届けるものです。むやみに撞木(しもく)を鐘に大きく撞つくのではなく、無理のない範囲で鐘を撞き、音色を奏で、撞き終わると撞木が鐘に何度も当らない様に紐を落ち着けます。

お接待とは何でしょうか?

四国では四国霊場を巡礼するお遍路さんを敬い、助けることで自身がお遍路をしていなくても、そのお遍路さんと同じ功徳がいただけると言い伝えられてきました。
お遍路さんはそういった接待をいただくことに感謝を感じ「お接待をうける」という様に「御」をつけることで敬意を表すようになったとされます。
また、お接待を受けたお遍路さんは御礼として自身の納札を手渡す古来よりの風習もあります。

御影(御姿)はどの様に取り扱えば良いのでしょうか?

集めた後は専用の入れものに入れて保管したり、軸装や額装をして飾ることもできます。何周もして多くある場合は周りの方にお守りとして渡したり、葬儀の際にお棺に入れる場合もあります。
またお受けすることを辞退しても差し支えありません。

逆打ちとは何ですか?また、閏年(うるうどし)に行うのはなぜですか?

逆打ちとは88番から1番に向けてお参りしていくことで、これは衛門三郎の伝説が基になっています。
平安時代の伊予国(愛媛県)に豪農の衛門三郎という者がいました。三郎は権勢をふるっており、欲深く、人望も薄かったといわれています。あるとき、修行僧が現れ、托鉢をしようとしました。三郎は追い返しましたが、何度も僧は現れました。7日目、三郎は怒って僧が捧げていた鉢をほうきでたたき落とすと(つかんで地面にたたきつけたとする説もあり)、鉢は8つに割れてしまい、僧も姿を現さなくなりました。
時に三郎には8人の子がいましたが、毎年1人ずつ子供が亡くなり、終いには皆亡くなってしまいました。悲しみに打ちひしがれていた三郎の枕元に大師が現れ、三郎は以前の修行僧が大師であったことに気がつき、自身の行いを後悔しました。
三郎は懺悔を行う為に、大師を追い求めて四国巡礼を二十回重ねましたが出会えず、大師に何としても巡り合いたい気持ちから、今度は逆に回ることにしました。しかし巡礼の途中、阿波国(徳島県)の焼山寺の近くで病に倒れてしまいました。死期が迫りつつある三郎の前に大師が現れ、三郎は今までの非礼をお詫びしたところ、望みはあるかとの問いかけに来世では人の役に立ちたいと託して息を引き取りました。大師は傍らの石を取り「衛門三郎再来」と書いて、左の手に握らせたとされます。また、その年が閏年だったとされます。
この伝説より閏年に88番から1番に向けて逆打ちするとお大師様に出合えると言い伝えられてきました。

巡拝の際は1度に全部お参りしないといけないのでしょうか?

巡拝の方法に決められたものはありません。行ける時に行ける寺院からお参りする、自身で決めた所までお参りする、1県ごとにお参りする、半分ずつお参りする、1度に全周でお参りするなど方法はご自身の都合や予定に合わせてお参りください。

お参りをする際の服装は何か決まったものがあるのでしょうか?

霊場会では特に定めた服装はありませんが、本来は遍路用品の説明でも記載している様な白装束を用います。少し略される方は落ち着いた色合いの洋服の上に白衣を着け、下は可能であれば白色のズボンや靴を身に着けることをお勧めいたします。
また、金剛杖や輪袈裟、念珠そして納経帳は必ず持ちましょう。
洋服でお参りの方も、上から「南無大師遍照金剛」と書かれた白衣を身に着けます。衣装を整えることで巡拝される気持ちや、心構えが随分と変わるものです。

宿坊とは何ですか?

お遍路をされる方に宿を設けている寺院の事です。
利用する際は必ず事前に確認と予約を行ってください。
宿坊はホテルや旅館ではありませんので、宿泊費を出来るだけ安くして遍路者に便宜をはかっている都合上、ご不便をかける点があります。
宿坊は、四国遍路の浄財によって建てられ、維持管理されていますので、施設を大切に使用しましょう。

四国霊場をすべてお参りし終えた後に高野山には必ずお参りしなければいけないのでしょうか?

必ず行かなければならないという強制されたものではありません。
余裕があれば四国霊場を無事にすべてお参りし終えたことをお大師様にご報告し、お礼を伝えてください。

四国霊場の記念事業中に周り終える事ができないのですが、事業終了後に記念の授与品などをいただく事は出来ないのでしょうか?

基本的に授与するものは期間中のみにお渡しすることが原則となっています。
ご自身のご都合上、どうしても参拝できない場合は、期間中にお参りできない寺院に連絡し、ご確認ください。

宗旨が真言宗ではないのですが、四国霊場はお参りできるのでしょうか?

四国霊場を構成する寺院は真言宗に限らず多数の宗旨で成り立っています。また四国霊場を巡礼する方がどの様な宗旨であろうと四国霊場では関係ありません。四国の地ではお遍路を行うみなさんを宗旨を問わず分け隔てなくお迎えしています。

自宅に両親やご先祖が使用していた途中までの納経帳があるのですが、これを自身のお参りに使うことはできないのでしょうか?

使うことができないと決められていませんが、ご自身が新たにお遍路を始める際にはお一人様1冊の納経帳を新たにご用意いただき、ご両親やご先祖の納経帳とあわせて四国霊場をお参りされることをお勧めいたします。

四国遍路を行うにはどの様な手段があるのでしょうか?

四国遍路を行うには歩き遍路、車遍路、公共交通機関を使った遍路があり、それらを組み合わせて巡拝する事ができます。他県から四国各地への代表的な手段はこちらをご覧ください。
四国へ来るためには

ご朱印とお納経の違いはなんですか?

ご朱印は参拝した記念にいただくことが多いですが、お納経の場合は参拝し、お経をご本尊様やお大師様に納めた(読経、写経)証としていただくものですので、ただお参りした際にもらうものとは意味合いが異なります。

お納経に日付を記入しないのはなぜですか?

四国霊場は一度参拝して終わるものではなく、古来より何周も重ねてお納経する方が数多くいらっしゃいます。寺院に参拝した日が記念日というわけではなく、日々の通過点の一部に過ぎないため寺院側で書面に日付を記入することはありません。もし日付を記入したい場合は別のページなどにご自身で行ってください。

網代笠・菅笠にかかれている文字の意味は何ですか?

笠には「迷故三界城」「悟故十方空」「本来無東西」「何処有南北」と「同行二人」と「お大師様を表す梵字」が書かれています。
読みは『迷うが故に三界は城、悟が故に十方は空、本来は東西は無く、何処に南北有らん。』です。
意味は迷っているが故に自分がまるで堅固な城壁に閉じ込められているかのように感じるのである。悟りを求めて心身を浄めれば、さまざまなこだわりが消えて心が安らかになる。本来は東も西もなく、我々は宇宙の中の一点に過ぎない。自身のこだわりを捨て、日々を過ごす。というようなものになります。
同行二人(どうぎょうににん)の意味は上記の項をご参照ください。

お大師様を表す梵字と弥勒菩薩を表す梵字が同じなのは何故ですか?

お大師様の入定信仰にある『日日影向文』では「卜居於高野樹下 (居を高野の樹下に卜し)遊神於兜卒雲上 (神を兜卒の雲上に遊ばしむ)不闕日日之影向 (日々の影向を闕かさず)検知處處之遺跡 (處々の遺跡を検知す)
(意訳「大師は高野山奥の院に身を留め、兜卒天にいながら毎日欠かすことなく大師所縁の遺跡に影向し信不信を検知す」)
また、高野大師御広伝には「承和二年三月十五日、大師また曰く、『・・吾入定の間、知足天に往き、慈尊の御前に参詣し、五十六億余歳の後、慈尊下生の時、必ず随従して吾旧跡を見るべし・・吾閉眼の後、必ず兜率天に上生し、慈尊出生の時、随従して我が先蹟を問うべし・・。』・・」とあります。
この事よりお釈迦様が入滅後に現れる弥勒菩薩と同一視され弥勒菩薩を表す梵字(ユ)が使われるようになりました。

ペット同伴・盲導犬同伴のお参りは可能ですか?

(一社)四国八十八ヶ所霊場会では動物同伴のお参りに関して特に規則を設けてはおりません。
上記の件に関してはお参りする寺院ごとに直接ご確認ください。