【御詠歌】
十悪のわが身を棄てずそのままに
浄土の寺へまいりこそすれ
国指定重要文化財。像高121.5cm、木造、玉眼。口元から六体の阿弥陀小化仏を吐いている。※画像1
本堂厨子に室町時代から江戸時代にかけての落書きがあり、貴重な歴史史料。※画像2
浄土寺の歴史・由来
境内入口に正岡子規の句碑「霜月の空也は骨に生きにける」が立つ。浄土寺は空也上人(903〜72)の姿がいまに残る寺である。腰のまがったやせた身に、鹿の皮をまとい、ツエをつき鉦をたたきながら行脚し、「南無阿弥陀仏」を唱えるひと言ひと言が小さな仏となって口からでる姿が浮かぶ。道路を補修し、橋を架け、井戸を掘っては民衆を救い、また広野に棄てられた死体を火葬にし、阿弥陀仏を唱えて供養した遊行僧、念仏聖である。
この空也上人像を本堂の厨子に安置する浄土寺は、縁起によると天平勝宝年間に女帝・孝謙天皇(在位749〜58)の勅願寺として、恵明上人により行基菩薩(668〜749)が彫造した釈迦如来像を本尊として祀り、開創された。法相宗の寺院だったという。のち弘法大師がこの寺を訪ねて、荒廃していた伽藍を再興し、真言宗に改宗した。そのころから寺運は栄え、寺域は八丁四方におよび、66坊の末寺をもつほどであった。
空也上人が四国を巡歴し、浄土寺に滞留したのは平安時代中期で、天徳年間(957〜61)の3年間、村人たちへの教化に努め、布教をして親しまれた。鎌倉時代の建久3年(1192)、源頼朝が一門の繁栄を祈願して堂塔を修復した。だが、応永23年(1416)の兵火で焼失、文明年間(1469〜87)に領主、河野道宣公によって再建された。
本堂と内陣の厨子は当時の建造で、昭和36年に解体修理をされているが、和様と唐様が折衷した簡素で荘重な建物は、国の重要文化財に指定されている。
浄土寺の見どころ
空也上人像・落書き・三蔵院(浄土宗の開祖・法然上人、1世・聖光上人、2世・良忠上人の自作像が安置されていた。この三像は昭和20年の松山空襲で出開帳先の寺で全焼している。)
第49番札所 西林山 三蔵院 浄土寺
(さいりんざん さんぞういん じょうどじ)
- 宗派
- 真言宗豊山派
- 本尊
- 釈迦如来(伝行基菩薩作)
- 開基
- 恵明上人
- 創建
- 天平勝宝年間(749〜757)
- 真言
- のうまく さんまんだ ぼだなん ばく
アクセス情報
- 所在地
- 〒790-0925 愛媛県松山市鷹子町1198
- 電話
- 089-975-1730
- 駐車場
- あり ※普通20台・バス4台 有料
- 宿坊
- なし
- 公式HP
- なし
松山インターチェンジから国道33号線を松山市街へ。天山交差点を右折し、環状線に入ります。枝松交差点を右折し県道40号線を川内方面へ。約3km走り、左折すると正面に見えます。
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