【御詠歌】
澄む水を汲むは心の清瀧寺
波の花散る岩の羽衣
明治33年(1900)清瀧寺の楼門建立に際し、地下の画家久保南窓(くぼなんそう)の揮毫した天井画「蛟竜図」「天女図」の二組が奉納された。竜は中央二面に続き、天女はその左右に描かれ、墨痕鮮やかで流麗闊達な筆致に極彩色が施されており、近郷天井画の白眉である。近年「天女図」は獣害を受け、宝物館に移管される。
久保南窓(1848〜1917)は、弘瀬洞意(ひろせどうい)に学び、また青木南溟(あおきなんめい)に私淑し、南画もよくし地方画家としての名声を博した。※画像1
本堂前、台座を含めると高さ15m。昭和8年、製紙業者による寄贈。台座の中で88段の戒壇巡りができる。
清瀧寺の歴史・由来
土佐市の北部。醫王山の中腹にあるが、ここは「土佐和紙」「手すき障子紙」で知られる高知県の紙どころ。その源をたどると弘法大師と因縁浅からぬ霊場であることがわかる。「みつまた」をさらし、和紙を漉く重要な水の源泉として、信仰の厚い札所である。
縁起によると、養老7年に行基菩薩が行脚していたところ、この地で霊気を感得して薬師如来像を彫造した。これを本尊として堂舎を建て、「影山密院・釋本寺」と名づけて開山したのが初めと伝えられている。弘法大師が訪ねたのは弘仁年間(810〜24)のころ。本堂から300mほど上の岩上に壇を築き、五穀豊穣を祈願して閼伽井権現と龍王権現に一七日の修法をした。満願の日に金剛杖で壇を突くと、岩上から清水が湧き出て鏡のような池になったという。そこで山号や院号、寺名を現在のように改め、霊場とした。
この水は、麓の田畑を潤すことはもとより、「みつまた」をさらし、紙を漉くうえで重宝され、やがては土佐和紙産業をおこすことにも貢献している。
寺伝では、平城天皇(在位806〜09)の第三皇子が弘法大師の夢のお告げで出家し、真如と名のった。真如はこの寺を訪ね、息災増益を祈願して、逆修の五輪塔を建立、後に入唐している。大師十大弟子の1人である。また、江戸時代には土佐藩主の帰依が厚く、寺領百石の寄進を受けるなど、七堂伽藍を備え、末寺10数ヶ寺をもつ土佐路の大寺であった。
厄除け祈願の名刹で、そのシンボルが本堂の屋根より高い大きな薬師如来像である。
清瀧寺の見どころ
本尊・厄除け薬師如来立像・逆修塔(生前に自分を追善供養する塔。今は「不入の山」とされている。)
第35番札所 醫王山 鏡池院 清瀧寺
(いおうざん きょうちいん きよたきじ)
- 宗派
- 真言宗豊山派
- 本尊
- 厄除薬師如来
- 開基
- 行基菩薩
- 創建
- 養老7年(723)
- 真言
- おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
アクセス情報
- 所在地
- 〒781-1104 高知県土佐市高岡町丁568-1
- 電話
- 088-852-0316
- 駐車場
- なし
- 宿坊
- なし
- 公式HP
- なし
土佐インターチェンジから国道56号線を右折。次の信号を右折して直進。約3km。
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