薬王山 金色院 國分寺

【御詠歌】
薄く濃くわけわけ色を染めぬれば
流転生死の秋のもみじ葉

庭園

国指定(平成12年)の名勝庭園は本堂東側の枯池式庭園と、四周に石組を配した築山式枯山水庭園からなる。江戸時代後期に大改修され、豪快な石組造形を持つ日本屈指の庭園である。(拝観料300円)※画像1

本堂

重層の入母屋造りで、文化、文政年間(1804〜30) に再建された。聖武天皇、光明皇后の位牌が祀られている。※画像2

國分寺の歴史・由来

四国霊場には四県に国分寺があり、その最初の札所が「阿波國分寺」である。仏教に篤く帰依した聖武天皇(在位724〜49)は、天平13年に国家の安穏や五穀豊穣、政教一致、地方文化の向上などを祈って、勅命により全国68ヶ所に国分寺、国分尼寺を創建した。奈良・東大寺はその総国分寺ともいわれる。縁起によると、阿波國分寺には聖武天皇から釈迦如来の尊像と『大般若経』が納められ、本堂には光明皇后のご位牌厨子を奉祀されたと伝えられている。開基は行基菩薩で、自ら薬師如来を彫造し本尊としている。創建当初は奈良の法隆寺や薬師寺、興福寺と同じ南都の学派に属する法相宗であり、寺領は二町四方で、ここに金堂を中心に七重塔も建つ壮大な七堂伽藍が整っていた。この寺域からは塔の礎石などが発掘されており、徳島県の史跡に指定されている。

弘法大師が弘仁年間(810〜24)に四国霊場の開創のため巡教された際に、宗派を真言宗に改めている。その後、「天正の兵火」によって灰燼に帰しており、境内は相当に衰微していた様子が寂本著『四國禮霊場記』(元禄2年=1689)からも知ることができる。寛保元年(1741)に阿波藩郡奉行、速水角五郎によって伽藍が再建されていらい、現在の禅宗・曹洞宗寺院となっている。境内の遺跡から往時の栄華がしのばれる。

國分寺の見どころ

庭園・本堂

第15番札所 薬王山 金色院 國分寺
(やくおうざん こんじきいん こくぶんじ)

宗派
曹洞宗
本尊
薬師如来
開基
行基菩薩
創建
天平13年(741)
真言
おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

アクセス情報

所在地
〒779-3126 徳島県徳島市国府町矢野718-1
電話
088-642-0525
駐車場
普通10台・マイクロバス1台(特例) 大型車は入車不可で駐車禁止 午前7時〜午後5時・無料
宿坊
なし
公式HP
なし

藍住インターチェンジから県道1号線を徳島市内へ行き、国道192号線と合流すると石井町方面へと走っていると看板があるので、それに沿って県道123号線へ。
⇒ 現在地からのルート案内はこちら