【御詠歌】
後の世を思えば恭敬焼山寺
死出や三途の難所ありとも
中央が大黒天、右面が毘沙門天、そして左面が弁財天の像。本堂左横のお堂に安置。※画像1
四国遍路の元祖・右衛門三郎が終焉したと伝えられる地に建てられたお堂。境内から車道1.6キロほど下ったところの番外霊場。※画像2
焼山寺の歴史・由来
焼山寺山(標高938メートル)の8合目近くにあり、四国霊場で2番目に高い山岳札所。剣山や白髪山など四国山脈の山々がひろがる眺望はすばらしい。四国霊場には「遍路ころがし」といわれた札所がいくつかあるが、焼山寺もその一つで、昔から嶮しい坂道の難所を辿る「修行の霊場」であった。いまは山上まで車道が通っている。縁起によると、飛鳥時代に役行者が山をひらいて、蔵王権現を祀ったのが寺のはじまりとされている。ところが、この山には神通力を持った大蛇が棲んでおり、しばしば火を吐いて農作物や村人たちを襲っていた。弘仁6年ころ、弘法大師がこの地に巡られた時、一本杉で休んでいた処、阿弥陀様があらわれた夢を見た。目を覚ますと目の前が火の海になっている。そこで麓の垢取川で身を清めて山に登ると、大蛇は全山を火の海にして妨害した。大師は「摩廬(水輪の意)の印いん」を結び、真言を唱えながら進んだのだが、大蛇は山頂近くの岩窟で姿をあらわした。
大師は一心に祈願し、虚空蔵菩薩の御加護のもと岩窟に封じ込めた。そして自ら彫られた三面大黒天を安置し被害を受けていた民家の大衆安楽、五穀豊穣を祈った。また山は「焼山」となってしまったので大師が「焼山寺」と名付けた。「摩廬」の山号も「焼山」の寺名も、こうした奇異な伝説に由来しており、鎌倉時代の後期には後醍醐天皇(在位138〜39)の勅願所となっている。境内は樹齢数百年の杉の巨木(県の天然記念物)が並び、巡礼者を迎えている。
焼山寺の見どころ
三面大黒天・杖杉庵・神山町(徳島県の特産であるウメやスダチの産地。)
焼山寺の年中行事
- 正御影供
- 日時:旧3月21日
- こもり法要
- 日時:8月30日
- 大般若会
- 日時:秋の彼岸中日
第12番札所 摩廬山 正寿院 焼山寺
(まろざん しょうじゅいん しょうさんじ)
- 宗派
- 高野山真言宗
- 本尊
- 虚空蔵菩薩
- 開基
- 役行者小角
- 創建
- 弘仁6年(815)
- 真言
- のうぼう あきゃしゃ きゃらばや おん ありきゃ まりぼり そわか
アクセス情報
- 所在地
- 〒771-3421 徳島県名西郡神山町下分字中318
- 電話
- 088-677-0112
- 駐車場
- 各車種あわせ70〜80台
- 宿坊
- あり(30人・山上のため必ず予約ください)
- 公式HP
- なし
11番藤井寺より192号を経て、石井町経由し県道20号線を利用すると便利。
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