【御詠歌】
阿波の国一宮とはゆうだすき
かけて頼めやこの世のちの世
東に0.7キロほどの新奥の院・国中寺は、お年寄りへの祈祷で知られる。
二つの石柱が、山門の前に立っている。数段の石段を上ると、左手にある本堂と右側にある大師堂とが向き合うかたちで建っている。水かけ子安地蔵と観音像が本堂と大師堂を行き来する参拝客を見守っている。
その境内の中央に「招霊」木(おがたまのき)が根を張っている。縁起木を笠のように「しあわせ観音」像がひときわ目を引く。合掌する手の中で、蓮を持って笑み「しあわせ」を与えている。※画像2
大日寺の歴史・由来
徳島市には5ヶ所の霊場がある。そのいちばん西部で鮎喰川を渡った平地にあり、車の往来が激しい県道の反対側が、かつて阿波の総鎮守であった一の宮神社となっている。開基は弘法大師とされ、縁起によると「大師が森」というこの地で護摩修法をされていたさいに、空中から大日如来が紫雲とともに舞いおり、「この地は霊地なり。心あらば一宇を建立すべし」と告げられた。大師は、さっそく大日如来像を彫造して本尊とし、堂宇を建立し安置したと伝えられている。寺名の由来もこの縁起による。境内は老樹に覆われ、密教寺院の雰囲気を漂わせているが、戦国時代には「天正の兵火」により堂塔はすべてが罹災している。その後、江戸時代の前期に阿波3代目藩主、蜂須賀光隆公により本堂が再建され、諸国に国の総鎮守・一の宮が建立されたときには、その別当寺として同じ境内にあり、管理に当たっていた。
ただ、一の宮の本地仏は行基菩薩作の十一面観音像とされており、同じ境内であったため、江戸時代には一の宮神社が札所であり、納経所として参拝されていたようである。このことは真念著『四國邊路道指南』(貞享四年・1687)にも記されている。その後、明治の神仏分離令により神社は独立し、一宮寺は大日寺ともとの寺名に変えたが、もともとこの寺にあった大日如来像は脇仏となり、十一面観音像が本尊として祀られている。 日本人の心には仏と神が融和している。遍路は大師の御心を慕い歩みつづけている。
大日寺の見どころ
ぼけ封じ観音・奥の院・建治寺・しあわせ観音(樹齢100年をこえる 巨木の側にあり、合掌している極彩色の小さな観音像。幸せの願いを祈る。)
第13番札所 大栗山 花蔵院 大日寺
(おおぐりざん けぞういん だいにちじ)
- 宗派
- 真言宗大覚寺派
- 本尊
- 十一面観世音菩薩
- 開基
- 弘法大師
- 創建
- 弘仁6年(815)
- 真言
- おん まか きゃろにきゃ そわか
アクセス情報
- 所在地
- 〒779-3132 徳島県徳島市一宮町西丁263
- 電話
- 088-644-0069
- 駐車場
- 普通車であれば15台、マイクロバスであれば10台、大型車であれば8台・無料
- 宿坊
- あり(150人)
- 公式HP
- http://dai13.jp/
- 公式SNS
藍住インターチェンジから県道1号線を徳島市内へ行き、国道192号線と合流すると石井町方面へと走り、鮎喰川沿いの県道21号線を進んで行くと右手にあります。
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