熊野山 虚空蔵院 石手寺

【御詠歌】
西方をよそとは見まじ安養の
寺に詣りて受くる十楽

訶梨帝母天堂

「訶梨帝母天堂」(かりていもてんどう)は、安産や子宝に恵まれるとされる重要な祈願スポットです。
お堂の周囲には、返された石が積み上げられています。石には、名前や感謝の言葉が刻まれており、多くの人々が子宝に恵まれた感謝の証として積まれています。
※画像1

遍路の元祖・衛門三郎ゆかりの寺

石手寺の名前は、四国遍路の元祖・衛門三郎再来の伝説に由来します。豪農の衛門三郎は、弘法大師を追い四国巡礼を始めました。巡礼中、病に倒れた彼は「衛門三郎再来」と書かれた石を手に握り、生まれ変わりとして河野家に生まれました。この石が寺に祀られ、寺名が石手寺となりました。※画像2

石手寺の歴史・由来

日本最古といわれる道後温泉の近く。参道が回廊形式となり仲見世のみやげ店が並ぶ。境内は、巡礼者よりも地元のお大師さん信者や観光客が多い霊場である。
そのもう一つの要因は、境内ほとんどの堂塔が国宝、国の重要文化財に指定されている壮観さで、それに寺宝を常時展示している宝物館を備えており、四国霊場では随一ともいえる文化財の寺院である。まず、一部を簡略にふれておこう。国宝は二王門で、高さ7m、間口は三間、横4m、文保2年(1318)の建立、二層入母屋造り本瓦葺き。重要文化財には本堂をはじめとして、三重塔、鐘楼、五輪塔、訶梨帝母天堂、護摩堂の建造物と、「建長3年」(1251)の銘が刻まれた愛媛県最古の銅鐘がある。

縁起によると、神亀5年(728)に伊予の豪族、越智玉純が霊夢に二十五菩薩の降臨を見て、この地が霊地であると感得、熊野12社権現を祀ったのを機に鎮護国家の道場を建立し、聖武天皇(在位724〜49)の勅願所となった。翌年の天平元年に行基菩薩が薬師如来像を彫造して本尊に祀って開基し、法相宗の「安養寺」と称した。
「石手寺」と改称したのは、寛平四年(892)の衛門三郎再来の説話によるとされる。
鎌倉時代の風格をそなえ、立体的な曼荼羅形式の伽藍配置を現代に伝える名刹である。境内から出土された瓦により、石手寺の前身は680年(白鳳時代)ごろ奈良・法隆寺系列の荘園を基盤として建てられた考証もある。

石手寺の見どころ

訶梨帝母天堂・落書き堂・洗い石(門前にある別名「渡らずの橋」。裏側に経文が刻まれている。)・阿弥陀堂(二王門を入り左側。ぼけ防止の祈願者が多く参拝する。)

第51番札所 熊野山 虚空蔵院 石手寺
(くまのざん こくぞういん いしてじ)

宗派
真言宗豊山派
本尊
薬師如来
開基
行基菩薩
創建
天平元年(729)
真言
おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

アクセス情報

所在地
〒790-0852 愛媛県松山市石手二丁目9番21号
電話
089-977-0870
駐車場
あり
宿坊
なし
公式HP
http://nehan.net/

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