御宝号88億回念誦プロジェクトについて
▶︎御宝号88億回念誦プロジェクト申し込みフォームはこちら◀︎弘法大師、お大師さまは「悩みや苦しみを持つものが最後の一人になるまで救い尽くすであろう」との御誓願をもって、承和2(835)年、高野山の奥之院に御入定されました。そして、「所々の遺跡を検知して、日々の影向をかかず」の御記文の通り、御誕生と御修行と成道の地であるお四国の地に日々影向され、同行二人と、今もお遍路さんに寄り添い、救いの手を差しのべて下さっております。お四国はこの同行二人という言葉の生まれたところです。
御入定から87年後、延喜21(921)年、再生の時熟し、お大師さまは醍醐天皇の夢枕に立たれ。「たかの山、結ぶ庵に袖朽ちて、苔の下にぞ有明の月」という和歌をお読みになられました。このことに心を動かされた醍醐天皇は、「弘法大師」の諡号と桧皮色(ひわだいろ)の衣を下賜されました。この時、観賢僧正がはじめて高野山奥之院の御廟の岩屋の扉を開かれました。まだお体は温かく、お髪が長くのびておられたので、それをお剃り申し上げ、御衣を被せ奉りました。下向の途につきますと、お大師さま自らお出ましになり、無明の橋までお見送り下さいました。
そして、「これから先何人によらず、この奥之院に参詣するものは、この無明の橋まで迎えてまた送るであろう」との言葉を下されました。観賢僧正が橋の袂でお別れをして、橋を渡ります。渡り終わって振り向きますと、まだ向こうから橋の袂でお見送り下さっている―その時、あまりのもったいなさに僧正の口より「南無大師遍照金剛」と思わず声がこぼれました。これが「南無大師遍照金剛」(御宝号)の最初であります。この「遍照金剛」は、お師匠である恵果和尚(唐・長安)よりいただいたお名前で、大日如来を意味し、日本列島の日(太陽)を本とする国にふさわしいお名前と言われております。
御入定(835)、御衣替え(921)の再生の儀礼を経て、歴史上の空海上人は、同行二人の大師信仰の「お大師さま」になられました。 この時、延喜21(921)年から令和2年(2020)は、千百年の記念すべき年にあたります。
四国八十八ヶ所霊場会では、令和元年10月27日に「賜弘法大師諡号1100年御待ち受け法会」を行い、「御宝号88億回念誦プロジェクト」を立ち上げました。 私たち一人一人の御宝号の念誦の祈りは、生きとし生けるものすべての幸せを願うお大師さまの永遠の祈りと合流して、自分も他の人も救われる悟りの世界に導かれます。同行二人の道は、わたしたち一人一人が菩薩となる道です。
入力の仕方
- ニックネーム、日付、念誦回数、住所は入力の為に必須の項目となります。 ※備考はお唱えした場面や状況などをご入力ください。
- 実名や詳細な住所のご入力はトラブルの原因となる恐れがございますのでお控えください。
- 念誦申告結果は88億回に達するまで表示させていただきます。
- 表示は日付順です。同じ日付の場合は最後に入力された方が一番上に表示されます。