密教山 胎蔵院 吉祥寺

【御詠歌】
身の中の悪しきひほうを打ちすてて
みな吉祥をのぞみいのれよ

くぐり吉祥天女

お迎え大師の右横にあるのは本尊毘沙門天の妃であり脇侍である吉祥天女の像。当寺の名前の由来である。あらゆる貧困を取り除き大富貴をもたらす天部の仏様として篤い信仰を集めている。この像の下をくぐるとご利益があると伝えられており「くぐり天女」(きちじょうてんにょ)の名で多くの人に親しまれている。優雅な立ち姿が印象的。※画像1

成就石

手水鉢の右横にある高さ1mほどの石で、中央下に径30〜40cmの穴があり、金剛杖を通せば願いが叶えられるという。※画像2

吉祥寺の歴史・由来

四国霊場の中で、本尊を毘沙聞天とする札所は吉祥寺だけで、その縁起をたどる。
弘法大師がこの地方を巡教したのは弘仁年間とされ、その折に大師は1本の光を放つ檜を見つけ、一帯に霊気が満ちているのを感得した。大師は、この霊木で本尊とする毘沙聞天像を彫造、さらに脇侍として吉祥天像と善膩師童子像を彫って安置し、貧苦からの救済を祈願して堂宇を建立したのが開創と伝えられている。
そのころの寺は、現在地より南東にあたる坂元山にあり、広い寺域に塔頭を21坊ほども有していた。だが、天正13年(1585)豊臣秀吉による四国攻めの争乱に巻き込まれて全山を焼失されている。その後、江戸時代の万治2年(1659)、末寺であった檜木寺と合併して、現在の地に移り再建されたと伝えられる。

寺宝に「マリア観音像」(非公開)がある。高さが30cmほど、純白の美しい高麗焼の像だが、伝来の由縁が興味深い。土佐沖で難破したイスパニア船の船長が、長宗我部元親に贈ったもので、元親はマリア像とは知らず、吉祥天のように美しい観音像として代々伝えられ、徳川幕府のキリスト教禁令にも難を逃れている。寺にはほかに鎌倉時代の「十二天屏風」、室町時代の「山越阿弥陀三尊像」(紙本著色)などが保存されている。

吉祥寺の見どころ

  • 毘沙門天(四天王のうちの北方を司る「多聞天」で現世利益の仏様として信仰されている。)
  • 成就石(手水鉢の右横にある高さ1mほどの石で中央下に径30~40cmの穴があり、金剛杖を置けば願いが叶うという。)
  • くぐり吉祥天女(くぐると貧苦を取り除き富貴財宝を授かるという。)

吉祥寺の年中行事

毘沙聞天初会式(護摩供)
日時:1月3日
花まつり(甘茶接待)
日時:旧4月8日

第63番札所 密教山 胎蔵院 吉祥寺
(みっきょうざん たいぞういん きちじょうじ)

宗派
真言宗東寺派
本尊
毘沙聞天
開基
弘法大師
創建
弘仁年間(810〜824)
真言
おん べいしらまんだや そわか

アクセス情報

所在地
〒793-0072 愛媛県西条市氷見乙1048
電話
0897-57-8863
駐車場
なし ※近隣に有料駐車場あり
宿坊
なし
公式HP
なし
公式SNS
instagram

いよ小松インターチェンジから国道11号線を西条市方面へ、氷見小前交差点を過ぎてすぐの左手にあります。
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