【御詠歌】
はるばると雲のほとりの寺に来て
月日を今は麓にぞ見る
お釈迦様のお弟子さんである等身大の五百羅漢像が境内全域に安置され、参拝に訪れた方を見守っている。※画像1
本尊・千手観音坐像、不動明王像、毘沙門天立像、絹本著色聖衆来迎図などがある。
※画像2は千手観音座像
雲辺寺の歴史・由来
四国霊場のうち最も高い標高911メートル、四国山脈の山頂近くにある霊場で、「遍路ころがし」と呼ばれる難所とされた。現在は、麓からロープウエーで山頂駅まで登ることができる。住所は徳島県だが、霊場としては讃岐の打ち始めでいわば「関所寺」。縁起によると、弘法大師は雲辺寺に3度登っている。最初は延暦8年、大師が16歳のときで善通寺(第七十五番)の建材を求めてであったが、深遠な霊山に心うたれて堂宇を建立した。これが雲辺寺の創建とされている。2度目は大同2年(807)、大師34歳のとき、唐から請来した宝物で秘密灌頂の修法をなされたという。さらに弘仁9年(818・大師45歳)、嵯峨天皇(在位809〜23)の勅を奉じて登り、本尊を彫造して、仏舎利と毘廬遮那法印(仏法石)を山中に納めて七仏供養をし、霊場と定められた。
霊場は、俗に「四国坊」と呼ばれ、四国の各国から馳せ参じる僧侶たちの学問・修行の道場となり、「四国高野」と称されて栄えた。貞観年間(859〜77)には清和天皇(在位858〜76)の勅願寺にもなっている。鎌倉時代は七堂伽藍も整備されて、境内には12坊と末寺8ヶ寺を有した古刹として阿波、伊予、讃岐の関所でもあったという。 天正年間(1573〜92)に土佐の豪族・長宗我部元親がこの地の白地城に陣して雲辺寺に参拝し、裏山から眼下を望み四国制覇を目指したが、当時の住職に諫められた。雲辺寺の歴史にも消長はあるが、江戸時代になってからは阿波藩主・蜂須賀公の手厚い保護をうけた。千古の杉に囲まれ、雲に包まれながら法灯を守っている。
雲辺寺の見どころ
巨鼇・国重要文化財・雲辺寺裏山問答(長宗我部元親と俊崇住職との問答。)・乳銀杏、おたのみなす(境内の片隅、奥まったところにある腰掛け。)・毘沙門天展望館(雲辺寺山の四季を360度眺望が楽しめる。)
第66番札所 巨鼇山 千手院 雲辺寺
(きょごうざん せんじゅいん うんぺんじ)
- 宗派
- 真言宗御室派
- 本尊
- 千手観世音菩薩(経尋作)
- 開基
- 弘法大師
- 創建
- 延暦8年(789)
- 真言
- おん ばざらたらま きりく
アクセス情報
- 所在地
- 〒778-5251 徳島県三好市池田町白地ノロウチ763
- 電話
- 0883-74-0066
- 駐車場
- あり
- 宿坊
- なし
- 公式HP
- なし
大野原インターチェンジから高松市内向きに国道11号線・県道8号線へ。ロープウェイの看板に沿って山道を走れば、雲辺寺ロープウェイ乗り場に到着します。
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