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神峯山中腹の標高450メートルに山門、境内が広がる。 幕末のころ、三菱財閥を築いた岩崎弥太郎の母が、20km離れた家から急な坂道を21日間(三七日)日参し、息子の出世を祈願した話は、いまも伝わっている。 縁起による歴史の古さは屈指で、神功皇后(在位201〜69)の世に勅命で天照大神などを祀る神社が起源とされる。聖武天皇(在位724〜49)の勅をうけた行基菩薩が天平2年に十一面観音像を彫造して本尊とし、神仏合祀を行った。その後、弘法大師が伽藍を建立し、「観音堂」と名付けたのが大同4年(809)のころとされている。
境内は四季折々の花が咲き、巡拝者の目を楽しませてくれる。早春にはサンシュユの花、3月彼岸ごろにはしだれ桜、本坊前のコブシの花、10月中旬から十月桜や万両が咲き誇る。 縁起によると、聖武天皇(在位724〜49)の勅願により、行基菩薩が大日如来の尊像を彫造し、堂宇に安置して開創されたと伝えられる。その後、寺は荒廃したが弘法大師が四国を巡教された弘仁6年(815)、末世の人々の安泰を祈り、楠の大木に爪で薬師如来像を彫られ、これを祀って復興されたという。 以後、隆盛を誇り、七堂伽藍や末寺、脇坊も備わり、17世紀初頭の慶長年間(1596〜1615)からは土佐藩の祈願寺となって、堂塔も整備された。しかし、明治新政府の神仏分離令によって一時は廃寺となったが、本尊は「大日堂」と改称した本堂に安置していたので救われ、明治17年に再興されて現在にいたっている。