竺和山 一乗院 霊山寺

【御詠歌】
霊山の釈迦のみ前にめぐりきて
よろずの罪も消え失せにけり

多宝塔

天正年間(1573年〜1592年)に長宗我部元親の攻撃で炎上した堂塔は、再建後も明治24年(1891年)に多宝塔を残し2度目の消失をする。

応永年間(1394年〜1428年)に建立した多宝塔は600年近い歴史を持ち、五智如来が祀られている。※画像1

縁結び観音

縁結び観音は男女の縁結びだけでなく、「健康との縁」や「仕事との縁」、「幸せとの縁」など様々な縁結びにご利益があるとされている。

お賽銭だけではなく、水でお清めをしながら祈ることで功徳が得られると言われている。※画像2

霊山寺の歴史・由来

四国八十八ヶ所霊場の全行程はおよそ1460キロ、365里におよぶ。この霊場を札所番号の順に巡拝する遍路には、ここが「発願の寺」、「同行二人」の長い旅となる。縁起によると、聖武天皇(在位724〜49)の勅願により行基菩薩が開創された。弘仁6年(815)、弘法大師が四国の東北から右廻りに巡教された際、この地で衆生の88の煩悩を浄化し、また衆生と自らの厄難を攘はらって、心身の救済ができる霊場を開こうと37日間の修法をされた。その時、仏法を説く一老師をたくさんの僧侶が取り囲み、熱心に耳を傾けている霊感を得た。大師は、その光景が天竺(インド)の霊鷲山で釈迦が説法をしていた情景と似ていると感じとり、インドの霊山を和国(日本)に移す意味で「竺和山・霊山寺」と名づけられた。

このときの念持仏が釈迦誕生仏像であり、本尊の前に納められたことから四国八十八ヶ所の第一番札所とさだめ、霊場の開設・成就を祈願されたと伝えられる。誕生仏は白鳳時代の作で、身の丈約14センチ余の小さな銅造である。往時は阿波三大坊の一つとされ荘厳な伽藍を誇った。しかし天正10年(1582)、長宗我部元親の兵火により堂塔は全焼した。その後、阿波藩主・蜂須賀光隆公によってようやく復興したが、明治24年(1891)には出火により本堂と多宝塔以外の堂宇を再び焼失している。以来、100年の努力で往時の姿となっているが、おおかたが近年の建物である。別格本山。地の利を生かした寺観の配置は妙で美しく、お遍路さんに彩りを添えている。

霊山寺の見どころ

一番札所

長い遍路の旅には、途中で困らないように、また、他人に迷惑をかけないなど、万全の用意が大事である。とくに最初の札所では、こころの準備をととのえることが大切であるといえる。

その他

  • 多宝塔(応永年間(1394〜1428)の建造で、五智如来像が祀られている。)
  • 明治の庭(大師堂の北側にある。お遍路をはじめる「発願の寺」を象徴している。)

霊山寺の年中行事

正月護摩祈祷
日時:1月1日〜3日
星祭り・厄除け祈祷
日時:2月3日
接待講
日時:2月21日〜末日
釈迦誕生日・青葉祭り・花祭り
日時:4月第1日曜日
大師誕生日・青葉祭り
日時:6月15日
護摩供養
日時:毎月1日
御影供
日時:毎月21日

第1番札所 竺和山 一乗院 霊山寺
(じくわざん いちじょういん りょうぜんじ)

宗派
高野山真言宗
本尊
釈迦如来
開基
行基菩薩
創建
天平年間(729〜749)
真言
のうまく さんまんだ ぼだなん ばく

アクセス情報

所在地
〒779-0230 徳島県鳴門市大麻町板東塚鼻126
電話
088-689-1111
駐車場
普通100台・バス10〜20台・無料
宿坊
なし
公式HP
なし

藍住インターチェンジから、県道1号線を板野町方面へ進み、次に県道12号線を鳴門市方面へ走ると左手にあります。
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