医王山 遍照光院 大窪寺

【御詠歌】
南無薬師諸病なかれと願いつつ
詣れる人は大窪の寺

本尊

この地下道は八十八ヶ所のお砂踏みをするところです。足の弱い方、時間のない方でも四国霊場を巡拝できます。階上は大師堂で内拝できます。※画像1

本堂

礼堂と中殿、多宝塔の奥殿があります。この奥殿に本尊・薬師如来と三国伝来の錫杖が安置されています。※画像2

大窪寺の歴史・由来

八十八ヶ所結願(けちがん)の霊場「大窪寺」。徳島県の県境に近い矢筈山(標高788m)の東側中腹に位置します。縁起によると、養老元年に行基菩薩がこの地を訪れた際に、霊夢を感得し草庵を建て修行をしたと言われます。弘仁6年に、唐から帰国した弘法大師が、現在の奥の院にある岩窟で、虚空蔵求聞持法を修法し堂宇を建立。等身大の薬師如来坐像を彫造し本尊とされました。また唐の恵果阿闍梨より授かった三国(印度、唐、日本)伝来の錫杖を納めて大窪寺と名づけ、結願の地と定めました。本堂西側にそそりたつ女体山には奥の院があります。大師が本尊に水を捧げるために独鈷で加持すると清水が湧き出たと伝えられます。その水を薬とともに服用し、ご利益を受ける人も少なくありません。

女性の入山が、早くから認められ女人高野としても栄え、一時は百以上の堂宇を誇っていました。しかし天正の兵火や明治33年の火災などで寺勢は苦難を繰り返します。しかし高松藩主の庇護や歴代住職の尽力により興隆。結願聖地の法灯を守り続けています。「同行二人」を共にした金剛杖などは、大師堂脇の寶杖堂(ほうじょうどう)へ奉納されます。これらは毎年春夏の「柴灯護摩供(さいとうごまく)」で供養されます。

大窪寺の見どころ

本尊・本堂・大師堂(石段を登った所にあります。内部にはお砂踏みができる道場があります。八十八ヶ所の小さな本尊が祀られ、一周すれば参拝と同じご利益が得られると言われます。)

大窪寺の年中行事

本尊護摩供
日時:毎月12日(8月は除く)
不動護摩供
日時:毎月28日
柴燈護摩供
日時:3月21日(春分の日)、8月11日(山の日)
土砂加持法要
日時:9月23日
星祭法要
日時:12月22日(冬至)

第88番札所 医王山 遍照光院 大窪寺
(いおうざん へんじょうこういん おおくぼじ)

宗派
真言宗
本尊
薬師如来
開基
行基
創建
養老元年(717)
真言
おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

アクセス情報

所在地
〒769-2306 香川県さぬき市多和兼割96
電話
0879-56-2278
駐車場
あり(無料)
宿坊
なし
公式HP
なし

高松道志度I.Cから県道141号線、県道3号線を経由し、多和の交差点を左折して国道377号線を道なりに走ります。
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補陀落山 観音院 長尾寺

【御詠歌】
あしびきの山鳥の尾の長尾寺
秋の夜すがら御名を唱えよ

長尾天満自在天神宮

平安時代、当長尾寺に明印という名僧がいた。讃岐国司であった菅原道真公と親交厚く、延喜二(九〇二)年、道真公が九州へ左遷のときに志度浦に出て「不期天上一円月、忽入西方万里雲」の詩を贈って心を慰めた。公もまた詩と自画像を明印に与え別れを惜しんだが、後にこの古事により、宝永七(一七一〇)年、天満自在天神宮として建立、当山鎮守として祀られている。※画像1

本堂

天和3年(1683)、藩主松平頼重が堂塔を建立しました。本尊は、幾多の火災でも難を逃れ、秘仏として讃岐七観音の中でも当国七観音随一と指定しました。※画像2

長尾寺の歴史・由来

明治維新以後、本坊は学校や警察、郡役所などの公共施設に提供された寺。地元では「長尾の観音さん」や「力餅・静御前得度の寺」として親しまれています。開創は聖徳太子という説もありますが、天平十一年に行基菩薩の説が一般的。行基がこの地を歩いていると道端に楊柳の霊夢を感じ、その木で聖観音菩薩像を彫造し本尊としました。その後、弘法大師がこの寺を訪れ、入唐が成功するように年頭七夜に渡り護摩祈祷を修法して国家安泰と五穀豊穣を祈願されました。その祈願は現在にも受け継がれ、毎年正月の七日には「大会陽」が盛大に開催されています。

唐から戻った大師は、再びこの地を訪れ「大日経」を一石に一字ずつ書写し供養塔を設立し、その時に真言宗に改宗。長きに渡り多くの天皇から帰依された寺でしたが、天正の兵火により、本堂以外は灰燼に帰します。江戸時代に藩主松平頼重が、堂塔を整備。その時に天台宗に改めています。

長尾寺の見どころ

大会陽力餅・本堂・静御前剃髪塚(静御前が母の磯禅尼とともに得度した後、髪を埋めたと言われる塚。)

長尾寺の年中行事

初天神
(併せて筆供養お炊き上げ)
日時:1月25日
秋例大祭
(前日宵宮)
日時:10月第2日曜

第87番札所 補陀落山 観音院 長尾寺
(ふだらくさん かんおんいん ながおじ)

宗派
天台宗
本尊
聖観世音菩薩
開基
行基
創建
天平11年(739)
真言
おん あろりきゃ そわか

アクセス情報

所在地
〒769-2302 香川県さぬき市長尾西653
電話
0879-52-2041
駐車場
あり
宿坊
なし
公式HP
http://nagaoji.com/

志度インターチェンジから長尾へ。約6km。
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補陀洛山 清浄光院 志度寺

【御詠歌】
いざさらば今宵はここに志度の寺
祈りの声を耳に触れつつ

仁王門

【国指定重要文化財】門前町の突き当たり、運慶の力作、仁王像と巨大わらじが迎えてくれる、全国的にも珍しい三棟造りの堂々とした佇まい。本堂とともに讃岐藩主、松平頼重により寄進されました。※画像1

閻魔像

志度寺の縁起によると、志度寺の閻魔大王は、本尊の十一面観音と同体とされ、頭上に十一面の仏面を頂くお姿で、極楽往生・蘇生の閻魔とされている。閻魔堂に安置されている閻魔大王像は、室町時代の中頃に、等身大の像を作るように命じて自ら体を採寸して与え、「弥阿」という尼僧を蘇生させたと伝わる。閻魔大王の顔は、参拝する人のその時々の心の在りようによって、怖い顔に見えたり優しい顔に見えたりすると言われている。※画像2

志度寺の歴史・由来

香川県東部、志度湾に面して建立される志度寺。海の向こうはるかには、屋島や五剣山の稜線を望めます。開創は古く推古天皇33年(625)、四国霊場屈指の古刹です。海洋技能集団海人族の凡園子(おおしそのこ)が霊木を刻み、十一面観音(かんのん)像を彫り、精舎を建てたのが始まりと言われ、その後、藤原鎌足の息子、藤原不比等が妻の墓を建立し「死度道場」と名づけられました。その息子房前の時代、持統天皇7年(693)、行基とともに堂宇を拡張し、学問の道場として栄えました。能楽の作品「海士(あま)」の舞台としても語り継がれています。

室町時代には、四国管領の細川氏の寄進により繁栄するが、戦国時代に荒廃。その後、藤原氏末裔、生駒親正(安土桃山時代、信長や秀吉などに仕える)による支援を経て、寛文10年(1671年)高松藩主松平頼重の寄進などにより再興されました。志度は、江戸時代の奇才平賀源内の故郷であり、近くに記念館があります。

志度寺の見どころ

仁王門(国指定重要文化財)・本堂・本尊(国指定重要文化財)・海女の墓(能楽でも詠まれる藤原家にまつわる悲話の舞台、藤原房前が母のために建立したと言われる「海女の墓」が約20基並んでいます。海女の命日である7月16日には、「志度寺の十六度市」が開催されていました。(現在は中止)この日は年に一度、本尊十一面観音の御開帳を行っております。)

曲水式庭園・無染庭
(むぜんてい)

「曲水式庭園」は室町時代の作庭で、天に向かいそびえる力強い石組が印象的。書院の正面に作庭された無染庭は重森三玲の作品で禅式枯山水庭の定型を採り竜安寺を感じさせます。

志度寺の年中行事

どんと焼き
日時:1月15日
柴燈大護摩
日時:5月 第2日曜日
本尊十一面観音御開帳
日時:7月16日・17日
永代土砂加持法要
日時:12月 第2日曜日
閻魔堂御開帳
日時:毎月17日

第86番札所 補陀洛山 志度寺
(ふだらくさん しどじ)

宗派
真言宗 善通寺派
本尊
十一面観世音菩薩
開基
藤原不比等
創建
推古33年(625)
真言
おん まか きゃろにきゃ そわか

アクセス情報

所在地
〒769-2101 香川県さぬき市志度1102
電話
087-894-0086
駐車場
あり(無料)
宿坊
なし
公式HP
なし

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五剣山 観自在院 八栗寺

【御詠歌】
煩悩を胸の智火にて八栗をば
修行者ならで誰か知るべき

聖天堂

本堂の横に建つ聖天堂には木喰以空上人が後水尾天皇皇后東福門院から賜った歓喜天が祀られています。商売繁盛や学業成就、縁結びにご利益があると言われ「八栗の聖天さん」として親しまれています。※画像1

中将坊堂

本堂後方に建つ中将坊堂に祀られている中将坊は、さぬき三大天狗の一人。夜に山から下りてきて、民衆のために良いことをして朝帰る天狗。中将坊堂脇に下駄を奉納し翌日下駄が汚れていれば中将坊が働いてくれた印だとか。※画像2

八栗寺の歴史・由来

屋島の東、源平の古戦場を挟み標高375mの五剣山があります。地上から剣を突き上げたような神秘的な山です。八栗寺はその8合目にあり、多くの遍路さんはケーブルカーで登られます。 天長6年、大師がこの山に登り求聞寺法を修めた時に、五振りの剣が天振り注ぎ、山の鎮守蔵王権現が現れました。そして「この山は仏教相応の霊地なり」と告げられたので、大師はそれらの剣を山中に埋め鎮護とし大日如来像を刻み五剣山と名付けられました。

五剣山の頂上からは、讃岐、阿波、備前など四方八国が見渡すことができたので、もともと八国寺という寺名でした。 延暦年中、師は唐に留学する前に、再度この山に登りました。そして入唐求法の成否を占うために8個の焼き栗を植えられました。無事帰国し、再び訪れると、芽の出るはずない焼き栗が芽吹いていました。これが八国寺を八栗寺へ改名した由来です。この寺も長宗我部元親による八栗攻略の兵火により全焼しました。しかし、江戸時代に無辺上人が本堂(三間四面)、さらに高松藩主松平頼重が現在の本堂を再興、弘法大師作の聖観自在菩薩を本尊として安置し、観自在院と称するようになりました。五剣山は、宝永3年(1706)に、大地震を遭い、昔は五つの嶺のうち、東の一嶺が中腹より崩壊し、現在の姿になりました。

八栗寺の見どころ

聖天堂・中将坊堂・大師堂横の多宝塔・鐘楼堂(寛政3年(1791)建立。鐘楼堂に歌人で書家の會津八一(あいづやいち・秋草道人)の作歌揮毫の歌銘のある美術梵鐘があります。「わたつみの そこゆくうをの ひれにさへ ひひけこのかね のりのみために」)

八栗寺の年中行事

修正会(正月特別祈祷)
日時:元日〜7日迄
大般若法会(聖天尊正月大縁日)
日時:1月16日午後1時
花祭り(仏生会)
日時:4月8日
大般若法会(聖天尊春季大縁日)
日時:5月16日午後1時
青葉祭り(宗祖降誕会)
日時:6月15日
大般若法会(聖天尊秋季大縁日)
日時:旧暦9月16日午後1時
星供護摩(星祭り)
日時:冬至〜節分迄受付
聖天尊ご祈祷
日時:毎日受け付け
聖天尊護摩供養
日時:毎月15日及び月末午後7時
一日参り
※1.2.7.8.9月を除く・善哉接待
日時:1日10時〜

第85番 五剣山 観自在院 八栗寺
(ごけんざん かんじざいいん やくりじ)

宗派
真言宗大覚寺派
本尊
聖観世音菩薩
開基
弘法大師
創建
天長6年(829)
真言
おん あろりきゃ そわか

アクセス情報

所在地
〒761-0121 香川県高松市牟礼町牟礼3416
電話
087-845-9603
駐車場
あり(無料)
宿坊
なし
公式HP
http://yakuriji.jp/

志度インターチェンジから国道11号線を牟礼町へ。コトデン八栗駅前を左折して県道36号線を進み、標識のあるT字路を右折しケーブル登山口駅に着きます。
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南面山 千光院 屋島寺

【御詠歌】
梓弓屋島の宮に詣でつつ
祈りをかけて勇む武夫

梵鐘

鎌倉時代の作で、「平家供養の鐘」といわれる。国指定重要文化財。※画像1

宝物館

本堂左手前の近代的な美術館。本尊をはじめ、源平盛衰記絵巻物、「源氏の白旗」、屋島合戦屏風など豊富な寺宝が保存・展示されている。

屋島寺の歴史・由来

屋島は高松市の東、標高293メートルの火山台地の半島で、那須与一の扇の的や義経の弓流しなどで有名な源平合戦の古戦場の史蹟で知られる。屋島寺はその南嶺にある。屋島寺は、天平勝宝のころ鑑真和上によって開創されたと伝えられる。鑑真和上は唐の学僧で、朝廷からの要請をうけ5度にわたって出航したが、暴風や難破で失明、天平勝宝5年(753)に苦難のすえ鹿児島に漂着した。翌年、東大寺に船で向かう途次、屋島の沖で山頂から立ちのぼる瑞光を感得され、屋島の北嶺に登った。そこに普賢堂を建てて、持参していた普賢菩薩像を安置し、経典を納めて創建されたという。のち和上の弟子で東大寺戒壇院の恵雲律師が堂塔を建立して精舎を構え、「屋島寺」と称し初代住職になった。

弘仁6年(815)、弘法大師は嵯峨天皇(在位809〜23)の勅願を受けて屋島寺を訪ね、北嶺にあった伽藍を現在地の南嶺に移し、また十一面千手観音像を彫造し、本尊として安置した。以後、大師は屋島寺の中興開山の祖として仰がれている。屋島寺はまた、山岳仏教の霊場としても隆盛し、天暦年間(947〜57)には明達律師が訪ねて四天王像を奉納された。現在の本尊・十一面千手観音坐像はこのころに造られており、国指定重要文化財になっている。やはり国指定重要文化財の本堂は鎌倉時代に造営されているが、寺運は戦乱によって衰退する。だが、国主・生駒氏の寺領寄進や、歴代藩主の援助により相次いで修築され、鎌倉・江戸時代の風格を現代に伝えている。

屋島寺の見どころ

梵鐘・宝物館・蓑山大明神(本堂の右。四国狸の総大将「太三郎狸」と呼ばれる土地の氏神。子宝、縁結びや家庭円満などの神さま。)

第84番札所 南面山 千光院 屋島寺
(なんめんざん せんこういん やしまじ)

宗派
真言宗御室派
本尊
十一面千手観世音菩薩
開基
鑑真和上
創建
天平勝宝年間(749〜756)
真言
おん ばさら たらま きりく

アクセス情報

所在地
〒761-0111 香川県高松市屋島東町1808
電話
087-841-9418
駐車場
あり
宿坊
なし
公式HP
なし

高松西インターチェンジから国道11号線南バイパス・国道11号線を東へ。マクドナルドのある交差点を左折しドライブウェイのゲートに着きます。
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神毫山 大宝院 一宮寺

【御詠歌】
讃岐一宮の御前に仰ぎ来て
神の心を誰かしら言ふ

本堂

立派な楠木に守られた本堂は、元禄14年(1701)、十方施主により再建されました。※画像1

地獄の釜

※画像2

一宮寺の歴史・由来

創建は、わが国に仏教が伝来して約160年後という歴史を誇ります。開基は、奈良仏教の興隆の礎を築いた義淵僧正で、当時は大宝院と呼ばれ、南都仏教の一つ法相宗の普及をはじめ、行基菩薩、良弁僧正らを輩出。和同年間、諸国に一宮寺が建立の際、行基菩薩が堂宇を修復し、神毫山一宮寺に改名されました。また大同年間、弘法大師が訪れ約106cmの”聖観音” 聖観世音菩薩を彫造し、伽藍の再興にあたり、この時に真言宗に改宗されました。

この寺も同じく、天正の兵火により灰燼に帰しましたが、中興の祖とされる宥勢大徳によって再興されました。また江戸時代に高松藩主により田村神社の別当を解かれました。神仏分離の200年も前の出来事です。
この寺の本堂左手には薬師如来が祀られる小さな祠があります。これは「地獄の釜」と呼ばれ、祠に頭を入れると境地が開けるという言い伝えがあります。一方、悪いことをしていると頭が抜けなくなると言われます。昔、近所で暮らす意地の悪いおタネばあさんは、「そんなことはない、試してみよう」を頭に入れると、扉が閉まり、ゴーという地獄の釜の音が聞こえ頭は抜けなくなりました。怖くなったおタネさんは、今までの悪事を謝りました。すると頭はすっと抜けました。それからおタネさんは心を入れ替え、親切になり、元気に長生きしたそうです。

一宮寺の見どころ

本堂・一宮御陵・地獄の釜(伝説の釜は、弘法大師が戒めのために作られたと伝えられます。)

一宮寺の年中行事

護摩供
日時:毎月28日 10:00~
正月初護摩供
日時:1月1日 13:00~
初大師大般若修行
日時:1月20日 13:00~
星供修行
日時:2月節分 14:00~
永代土砂加持修行
日時:5月20日
きゅうり加持
日時:7月土用の丑(終日)
千日会
日時:8月10日
除夜の鐘つき
日時:12月31日 23:50頃~

第83番札所 神毫山 大宝院 一宮寺
(しんごうざん だいほういん いちのみやじ)

宗派
真言宗御室派
本尊
聖観世音菩薩
開基
義淵僧正
創建
大宝年間(701〜704)
真言
おん あろりきゃ そわか

アクセス情報

所在地
〒761-8084 香川県高松市一宮町607
電話
087-885-2301
駐車場
あり(無料)
宿坊
なし
公式HP
http://www.sanuki-ichinomiyaji.or.jp/
公式SNS
instagram

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青峰山 千手院 根香寺

【御詠歌】
宵の間の妙降る霜の消えぬれば
後こそ鉦の勤行の声

五大尊像

納経所左。弘法大使の開基ゆかりの五大明王。不動明王、降三世夜王、軍茶利明王、大威徳明王、金剛夜叉明王
※画像1

牛鬼の像

山門近くの茂み内。伝説に出てくる牛鬼が鬼気迫る面持ちで建っています。※画像2

根香寺の歴史・由来

五色台の主峰、青峰山に佇ずむ、かつての巨刹。五つの山に金剛界曼荼羅の五智如来を感じた弘法大師は、密教修行の地とし青峰に「花蔵院」を建立されました。後に大師の甥にあたる智証大師が訪れた際、山の鎮守である一之瀬明神に出会い、「この地にある毘沙門谷、蓮華谷、後夜谷に道場を作り、蓮華谷の木で観音像を作りなさい」というお告げをうけました。智証大師は蓮華谷の木で千手観音像を彫造し、「千手院」を建て安置しました。この霊木の切り株から芳香を放ち続けたことから「花蔵院」、「千手院」を総称して根香寺と名づけられたといわれます。根香寺は後白河天皇の帰依も厚く隆盛を極めました。後に、高松藩主らにより再興され、この時に天台宗へ改宗されました。

寺には次のような伝説があります。昔、青峰山には人間を食べる恐ろしい怪獣、牛鬼が棲んでいました。村人は、弓名人山田蔵人高清に頼み退治してもらうことしました。しかし、高清が山へ入れど、なかなか牛鬼が現れません。そこで高清は根香寺の本尊に願をかけました。すると21日目の満願の暁に、牛鬼が現れ口の中に矢を命中。逃げる牛鬼を追うと2kmほど西の定ヶ渕で死んでいるのを発見しました。高清は牛鬼の角を切り寺に奉納。その角は今でも寺に保存されています。また牛鬼の絵は魔よけのお守りとして親しまれています。

根香寺の見どころ

五大尊像・牛鬼の像・万体観音(本堂前の凹字型回廊に、全国の信者が奉納した約三万三千体の観音像が並んでいます。)

第82番札所 青峰山 千手院 根香寺
(あおみねさん せんじゅいん ねごろじ)

宗派
天台宗
本尊
千手観世音菩薩
開基
弘法大師、智証大師
創建
弘仁年間(810〜824)
真言
おん ばざらたらま きりく そわか

アクセス情報

所在地
〒761-8004 香川県高松市中山町1506
電話
087-881-3329
駐車場
あり(無料)
宿坊
なし
公式HP
なし

高松西インターチェンジから五色台方面へ、標識に沿って県道180号線を進むと山門前につきます。
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綾松山 洞林院 白峯寺

【御詠歌】
霜寒く露白妙の寺のうち
御名を称ふる法の声々

勅額門と頓証寺殿

高松藩主松平頼重公が造営した勅額門と頓証寺殿は装飾、構造共に非常に手が込んでおり、和様を基調とした端正な形式と意匠でまとめられ、傑出した特色を持つ極めて貴重な建物であり、天皇、神、仏の三者を一堂で祀る形式は全国的にも他に類を見ないものである。※画像1

干支守り本尊

境内のお堂ごとに干支(えと)の守り本尊がそれぞれに祀られており、本堂、大師堂をお参りした後に自身の干支の守り本尊が祀られているお堂をお参りする参拝者が数多い。※画像2

白峯寺の歴史・由来

白峯寺は香川県中程にある霊峰の五色台には青峯、黄峯、赤峯、白峯、黒峯の五峯の山があり、その最も西よりの白峯山にあります。参道からは瀬戸内海の雄大な景色が望める静かな古刹で、弘法大師と大師の妹の子と言われる智証大師が創建されました。弘仁6年、弘法大師は白峯山の山頂に、如意宝珠を埋め井戸を掘り、衆生済度を祈願しました。後に智証大師は、瑞光に導かれて白峯山に登頂し、地主神である白髪の老翁のご神託を受け、瀬戸内海に現れた光明に耀き芳香薫ずる霊木で千手観音像を彫造し、これを本尊として佛堂を創建したと伝えられます。

白峯という、まろやかな響きを持つこのお寺には、有名な物語が二つあります。

保元の乱で破れ讃岐へ流された崇徳上皇は、都へ帰りたいという思いが叶わぬまま寂しくこの地で亡くなられ、御遺詔によって当山稚児嶽上に荼毘し、御陵が営まれました。しかし都では異変が相次いだため、代々の天皇、公卿、武将も恐れ崇め奉り、御府荘園を寄せて菩提を弔い、或は法楽、詩歌、種々の霊器宝物を奉納して慰霊の誠を尽し、特に第100代の後小松帝は上皇の霊を祀る法華堂に「頓証寺」の勅額を奉納し尊崇の意を表しました。また仁安元年、上皇と親交のあった西行法師が慰霊の為に御廟に参詣した際に上皇の霊と歌を詠み交わした話は上田秋成作『雨月物語』の伝説でも有名です。また、境内には上皇の悲話を伝える玉章木(たまずさのき)もあります。

また白峯山には日本八天狗の一狗である心優しい相模坊という天狗が住んでいると伝えられています。突然の来客があり和尚の命により、小僧さんが豆腐を買いに出かけたところ、突然、何者かに背中を押され、空を飛ぶような感覚になりました。そして次の瞬間、田舎では見ることない上等の絹豆腐を受け取り元の場所に立っていました。これは、突然の買い物に走る小僧さんを気の毒に思い相模坊天狗が助けてあげたと今なお語り継がれています。

住時は塔頭21ヶ坊を数え隆盛を極めていましたが、度々の雷火、兵火の災いに遇い、現存するものは藩侯生駒家、松平家の再建によるものです。

白峯寺の見どころ

建造物では十三重石塔2基、山門(七棟門)、御成門、勅使門、客殿、勅額門、頓証寺殿、薬師堂、行者堂、阿弥陀堂、本堂、大師堂、美術品では「頓証寺」勅額が国の重要文化財で、その他多数の指定文化財を有しています。

境内には四国で唯一の天皇の墓所である白峯陵が隣接し、すべての干支の守り本尊が各お堂に祀られ、日本八天狗の一狗である白峯大権現(相模坊)が祀られています。

香川県の保存木に指定されている樅(モミ)の巨木をはじめ、年中を通して花々が楽しめ、特に春は桜、夏は紫陽花、秋は紅葉が有名で多数の参拝者が県内外から訪れます。

参道には県内最大級の落差を誇り、幻の滝ともいわれる稚児の滝や、瀬戸内海を一望できる白峰展望台があります。

また、古来より本尊千手観世音菩薩は身代わり観音として、鎮守白峯大権現(相模坊)は開運招福、商売繁盛、勝負事の神様として、崇徳天皇は悪縁切り、芸事、学問の神様として信仰されています。

白峯寺の年中行事

元旦修正会(新年祈祷)
日時:1月1日〜3日
場所:護摩堂、頓証寺殿
正月大護摩法要(開運火渡り修行)
日時:1月最終日曜日 正午頃
場所:頓証寺殿前
星祭
日時:節分2月3日 15時
場所:護摩堂
永代土砂加持彼岸法要
日時:4月最終日曜日 13時
場所:護摩堂
千日会(本尊千手観音縁日)
日時:7月10日 10時 ※年に一度の本尊御開帳
場所:本堂
崇徳天皇御正宸祭
日時:9月21日 9時
場所:白峯陵
大般若経お加持法要
日時:11月第1日曜日 13時
場所:頓証寺殿
星祭
日時:冬至12月22日 15時 ※但し閏年は12月21日
場所:護摩堂
除夜の鐘
日時:大晦日 23時45分頃
場所:鐘楼堂 ※干支(えと)の土鈴を先着順にお配りします。
月例護摩祈願・供養(不動明王縁日)
日時:毎月28日 10時 ※1月、4月は法要と重なる為、除く
場所:護摩堂

第81番札所 綾松山 洞林院 白峯寺
(りょうしょうざん どうりんいん しろみねじ)

宗派
真言宗御室派
本尊
千手観世音菩薩
開基
弘法大師、智証大師
創建
弘仁6年(815)
真言
おん ばざら たらま きりく

アクセス情報

所在地
〒762-0016 香川県坂出市青海町2635
電話
0877-47-0305
駐車場
あり(無料・約200台)
宿坊
あり(春期秋期のみ・団体のみ・不定休・要予約)
公式HP
http://www.shiromineji.com/
公式SNS
facebook instagram twitter

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白牛山 千手院 国分寺

【御詠歌】
国を分け野山をしのぎ寺々に
詣れる人を助けましませ

本堂

鎌倉時代、旧講堂跡に再興された国の重要文化財。本尊はケヤキの一本造りの秘仏。(ご開帳は60年に1度、次回は2040年を予定)※画像1

梵鐘

創建当時から残る四国最古の鐘。興味深い伝説が多いことでも有名。※画像2

国分寺の歴史・由来

奈良時代の創建当時の遺構をよく残した寺で、旧境内の全域が四国で唯一の国の特別史蹟。本堂は、前面と背面に桟唐戸のある鎌倉中期に再建されたものです。また境内地の中心部には創建当時の本堂の礎石・33個が点々と配置されていて、現在の唐招提寺の金堂に匹敵する規模です。また、山門を入ってすぐ右手には七重の塔の礎石も残り、現存すれば京都・東寺の五重塔を超す大塔だったと推定されます。寺の創建は聖武天皇の時代。勅命を受けた行基菩薩がの開基した讃岐の国の国分寺です。その後、弘仁年間(810〜823)に弘法大師が本尊千手観音像を修理し、霊場に定めますが、「天正の兵火」で堂塔のほとんどを焼失。鎌倉時代には西大寺の末寺であったとする記録があり、その頃、現在の本堂が建てられ、その後、高松藩主・生駒氏や松平氏のひ護を受け、今に至ります。

また、この寺で有名なのは四国最古の梵鐘(ぼんしょう)大蛇がかぶっていたという伝説とともに次のような実話があります。江戸初期の藩主・生駒一正公は、当時この鐘を高松城の鐘にしようと、田1町(ちょう)と引き換えに手に入れます。ところが、城へ運ぼうとすると思ったより異様に、大勢の人馬を必要としました。しかも、城についた途端音がならず、おまけに城下では悪病が流行。そして、自身も病に倒れた 一正公の枕元に毎夜鐘が現れ「もとの国分へいぬ(帰りたい)」と泣くのです。そこで結局、鐘は国分寺へ返すことに。城に運んだ時と違い、今度はなぜか少人数でも軽々と運べた上、鐘が国分寺へ戻った途端悪病は治まり、再び美しい音色を聞かせるようになったという伝説が残っています。

国分寺の見どころ

奈良時代の礎石が残る。(金堂跡・七重塔)広い境内には黒松の大木が樹立します。
本堂・梵鐘・礎石(金堂跡、七重塔跡)・大師堂(大師像が直に見える)・弁財天(国分寺には、さぬき七福神の中で紅一点の「弁財天」を祀る。)

国分寺の年中行事

水子総供養大法要修行
日時:6月第1日曜日14時より

第80番札所 白牛山 千手院 国分寺
(はくぎゅうざん せんじゅいん こくぶんじ)

宗派
真言宗御室派
本尊
十一面千手観世音菩薩
開基
行基
創建
天平13年(741)
真言
おん ばさら たらま きりく

アクセス情報

所在地
〒769-0102 香川県高松市国分寺町国分2065
電話
087-874-0033
駐車場
あり(無料・約20台)
宿坊
なし
公式HP
http://sanukikokubunji.jp/
公式SNS
instagram
  • 徒歩の場合:JR国分駅から徒歩4分(国分駅JR高松駅/坂出駅から徒歩14分)
  • 車の場合:府中湖ICから9分/高松檀紙ICから12分
  • 高速バスの場合:関西方面から高速バス(フットバス)あり(停留所から徒歩12分)
  • 飛行機の場合:高松空港から車で30分
  • 新幹線の場合:岡山で瀬戸大橋への乗り換え・坂出駅から約14分

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金華山 高照院 天皇寺

【御詠歌】
十楽のうき世の中をたづぬべし
天皇さえもさすらいぞする

不動の瀧

※画像1

胎蔵界説法

※画像2

天皇寺の歴史・由来

天平年間に四国巡錫の為に当地を訪れた行基は、鉱石が多く産出されるこの山が、カナヤマビメとカナヤマヒコの御座す山であるとし、金山と名付ける。そしてこの金山中腹に薬師如来を御本尊とした金山摩尼珠院を建立し、この地が神仏習合の地であることを現した。

後の弘仁年間に空海が訪れ、朽ち果てた金山摩尼珠院を現在の79番札所の場に移動させ、金華山妙成就寺摩尼珠院として中興する。空海を中興の思いへと向かわせたのは、御神体金山を鎮護する金山権現との出会い、そして金山中腹より湧き出る御神水との感応にあった。ありとあらゆるすべての蘇生が可能であると確信を得た空海は、この耶蘇の地にて十一面観音菩薩・阿弥陀如来・愛染明王を刻み堂宇に安置する。

後の保元の乱により讃岐へと配流された崇徳天皇と空海御手彫阿弥陀如来の出会いは、空海中興金華山妙成就寺摩尼珠院を崇徳天皇永代別等職へと至らせることとなる。

崇徳天皇御崩御の後、寺院境内に崇徳天皇社が造営され、後嵯峨天皇による永代別等職の詔を賜り、崇徳天皇供養の寺、崇徳天皇寺と呼ばれるようになった。

明治時代の廃仏毀釈による廃寺という現象は、筆頭末寺であった奇香山仏乗寺高照院院主らの尽力による、今日の金華山天皇寺高照院を生み出すこととなった。

天皇寺の見どころ

三輪鳥居

天皇寺境内にそびえ立つ朱色の鳥居は、奈良県大神神社と同系の三輪鳥居であり、両部神道を源とする三輪神道で境内が荘厳されていることを表した鳥居である。

鳥居向かって左側には源頼朝寄進の下乗石、天皇寺境内正面には崇徳天皇社(現・白峰宮)が建立されている。

本堂

当山御本尊十一面観音菩薩頭上の阿弥陀如来印契より、本堂正面(金剛界説法)と本堂背面(胎蔵界説法)の両面を参拝することを習いとしている。

大師堂

金華山妙成就寺摩尼珠院中興に尽力した、奇香山仏乗寺高照院御本尊薬師如来の梵字が堂宇正面に懸けられている。

第79番札所 金華山 高照院 天皇寺
(きんかざん こうしょういん てんのうじ)

宗派
真言宗御室派
本尊
十一面観世音菩薩
開基
行基菩薩
中興
弘法大師
創建
天平年間(729〜749)
真言
おんまか きゃろにきゃ そわか

アクセス情報

所在地
〒762-0021 香川県坂出市西庄町天皇1713-2
電話
0877-46-3508
駐車場
あり ※境内内は普通車のみ。マイクロバス、大型バスは県道33号線を利用。
宿坊
なし
公式HP
なし

坂出北インターチェンジから県道33号線を東へ向います。JR八十場駅を過ぎたところで、標識のある西庄町交差点を右折し参道へ。
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