仏光山 広徳院 郷照寺

【御詠歌】
踊り跳ね念仏申す道場寺
拍子を揃え鉦を打つなり

万体観音堂

地下幽幻郷
万体観音
本尊聖観世音菩薩を中心にミニ観音像約一万体を安置。(ご信徒皆様のお願い事の成就を託しています。)※画像1

庚申堂

「庚申信仰」を伝えるお堂。本尊には6本の手をもつ青面金剛が祀られ、病魔を除く霊験があるとされる。※画像2

郷照寺の歴史・由来

境内からは瀬戸内海にかかる瀬戸大橋の眺望が見事である。往時から港町として栄え、「四国の表玄関」とでもいえる場所なので、高僧・名僧との由縁が深い霊場である。地元では「厄除うたづ大師」と呼ばれ、また、四国霊場で唯一「時宗」の霊場である。縁起によると、郷照寺は神亀2年、行基菩薩によって開創された。行基菩薩は55センチほどの阿弥陀如来像を彫造し、本尊として安置され、「仏光山・道場寺」と称した。御詠歌に「道場寺」と詠まれているのもその名残である。その後、大同2年(807)に弘法大師が訪れ、仏法有縁の地であると感得し、大師自身の像を彫造して厄除けの誓願をされた。この木造の大師像は「厄除うたづ大師」としていまも広く信仰されている。

京都・醍醐寺の開山として知られる理源大師(聖宝・832〜909)がこの寺に籠山し修行したのは仁寿年間(851〜54)とされ、また、浄土教の理論的基礎を築いた恵心僧都(源信・942〜1017)が霊告を受けて釈迦如来の絵を奉納し、釈迦堂を建立したのは寛和年間(985〜87)とされている。さらに、仁治4年(1243)には『南海流浪記』の著者及び中院流の祖である高野山の道範阿闇梨が配流となったとき、この寺を仮寓にした。「時宗」の開祖・一遍上人(1239〜89)は、正応元年(1288)に逗留して易行・浄土教の教えを広めたことから、真言・時宗の2教の法門が伝わることになり、八十八ヶ所の中で特異な霊場となり、今日も真言三密の教え・浄土易行の教えが脈々と伝わっている。

郷照寺の見どころ

観賞式庭園・境内から臨む瀬戸大橋の眺望

第78番札所 仏光山 広徳院 郷照寺
(ぶっこうざん こうとくいん ごうしょうじ)

宗派
時宗
本尊
阿弥陀如来
開基
行基菩薩
創建
神亀2年(725)
真言
おん あみりた ていせい からうん

アクセス情報

所在地
〒769-0210 香川県綾歌郡宇多津町1435
電話
0877-49-0710
駐車場
あり(普通車無料・大型バス有料)
宿坊
なし
公式HP
https://yakuyoke.org/

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桑多山 明王院 道隆寺

【御詠歌】
ねがいをば仏道隆に入りはてて
菩提の月を見まくほしさに

潜徳院殿堂

本堂の左裏手。江戸後期の典医・京極左馬造公の墓所で、眼病にご利益があると信仰されている。※画像1

観音像

西国、秩父、坂東の百観音のほか、観音霊場として名高い各地の本尊、水子供養の観音像や交通安全の観音像など255体が建立されている。※画像2

道隆寺の歴史・由来

仁王門をくぐると、ブロンズの観音さんがずらりと並んで迎えてくれる。創建ころのこの付近一帯は広大な桑園で、絹の生産地であったようである。縁起によると、和銅5年、この地方の領主、和気道隆公が桑の大木を切り、小さな薬師如来像を彫造し、草堂を建てたのが寺の初めといわれる。道隆公は、周囲5メートル近い桑の大木が、夜ごと妖しい光を放っているのを見た。この光を怪しみ矢を射ると、女の悲鳴があり、乳母が倒れて死んでいた。嘆き悲しんだ道隆公は、その桑の木で仏像を彫り、草堂に安置して供養する。

大同2年(807)、道隆公の子・朝祐公は唐から帰朝した弘法大師に懇願し、弘法大師自ら90センチほどの薬師如来像を彫造、その胎内に父・道隆公の像を納めて本尊とした。
朝祐公は大師から授戒をうけて第2世住職となり、先祖伝来の財産を寺の造営にあてて七堂伽藍を建立、寺名は創建した父の名から「道隆寺」と号した。第3世は弘法大師の実弟にあたる真雅僧正(法光大師)が嗣ついで二十三坊を建立し、第四世の円珍(智証大師)は五大明王、聖観世音菩薩像を彫造して護摩堂を建立、次の第5世聖宝(理源大師)の代には「宝祚祈願所」となっている。高僧が相次いで寺勢は栄えたが、貞元年間(976〜78)の大地震による堂塔の倒壊や、康平3年(1060)の兵火、また「天正の兵火」に遭うなど興亡をくり返しながらも、法灯を守り続けている。

道隆寺の見どころ

潜徳院殿堂・観音像・寺宝(鎌倉時代の絹本著色「星曼荼羅図」は国指定重要文化財。)

道隆寺の年中行事

定例護摩供
日時:1月、5月、9月の各28日・13:00〜
場所:五大明王堂

第77番札所 桑多山 明王院 道隆寺
(そうたざん みょうおういん どうりゅうじ)

宗派
真言宗醍醐派
本尊
薬師如来
開基
和気道隆
創建
和銅5年(712)
真言
おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

アクセス情報

所在地
〒764-0022 香川県仲多度郡多度津町北鴨1丁目3番30号
電話
0877-32-3577
駐車場
あり(無料)
宿坊
なし
公式HP
なし

善通寺インターチェンジから多度津町市街地に入ります。県道21号線とのT字路を右折し、JR高架橋を越えて300mほど進めば道隆寺へ。仁王門は道路の反対側にあります。
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鶏足山 宝幢院 金倉寺

【御詠歌】
まことにも神仏僧をひらくれば
真言加持の不思議なりけり

大師堂

智証大師と弘法大師の像を安置。共に「大師」の称号を得、「讃岐の五大師」に数えられています。※画像1

訶利帝堂

本堂の左。訶利帝堂(かりていどう)に訶利帝母(鬼子母神)の尊像を祀っています。※画像2

金倉寺の歴史・由来

金倉寺は、弘法大師の甥で天台寺門宗の開祖「智証大師」が誕生した地。縁起によると、弘法大師が生まれた宝亀5年に智証大師の祖父・和気道善(わけどうぜん)が建立し、道善は「自在王堂」と名づけ、仁寿元年(851)11月に官寺となった際に開基の名をとって「道善寺」となりました。その後、唐から帰朝した智証大師が唐の青龍寺にならって伽藍を造営、薬師如来を刻んで本尊に。「金倉寺」になったのは928年、醍醐天皇の勅命で、地名の金倉郷にちなんだ寺名となったようです。

「智証大師」は、子供の頃「日童丸」と呼ばれ、たいそう賢いと評判でした。智証大師が2歳の時には、一人で遊んでいる幼い体からなんとも言えない後光が射しているのを付近の人々が見たといわれています。そして、「きっと仏様が生まれ変わったに違いない。将来は必ず立派なお方になられるだろう。」と、この地に立派な子が生まれたと喜び合ったそうです。また、5歳の時には目の前に天女が現れ、「貴方は三光天の一人、明星天子であり、虚空蔵菩薩の仮の姿。貴方が将来仏道に入るなら私がずっとお守りしましょう。」と告げられたという伝説も。この天女こそが、よその子供を食べた罪でお釈迦様に末子をとられ、子供を失った母の辛さを教えられた後に仏になったとされる「訶利帝母(かりていも)」(別名「鬼子母神(きしもじん)」)でした。こうして訶利帝母に守られて育った智証大師は、修行を重ね、仏法を広めることに精進できたといわれています。

金倉寺の見どころ

大師堂・訶利帝堂(かりていどう)・乃木希典(のぎまれすけ)将軍
遺品展示室(明治31年から約3年、この寺で暮らした乃木希典愛用の軍帽、肖像画、夫人からの 手紙などが保存されています。)

金倉寺の年中行事

採燈大護摩供
一般参拝者も火渡りすることができる。
日時:9月第1土曜・日曜

第76番札所 鶏足山 宝幢院 金倉寺
(けいそくざん ほうどういん こんぞうじ)

宗派
天台寺門宗
本尊
薬師如来
開基
和気道善
創建
宝亀5年(774)
真言
おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

アクセス情報

所在地
〒765-0031 香川県善通寺市金蔵寺町1160
電話
0877-62-0845
駐車場
あり(有料)
宿坊
なし
公式HP
https://www.kagawa-konzouji.or.jp/

善通寺インターチェンジから観音寺市内向きに県道33号線(旧国道11号線)へ。金蔵寺郵便局を左折すると、駐車場があります。
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五岳山 誕生院 善通寺

【御詠歌】
我すまばよもきゑはてじ善通寺
ふかきちかいの法のともしび

金堂

善通寺の本堂。創建当時の金堂は、永禄元年(1558)、三好実休の兵火により焼失し、現在の建物は、元禄12年(1699)に上棟されたものです。本尊・薬師如来坐像は、像高3メートルにも及ぶ丈六の巨像で、元禄13年(1700)、御室大仏師北川運長によって造像されました。※画像1

五重塔

総高43メートルに及ぶ大塔で、善通寺のシンボルとして、広く人々に親しまれています。創建以来、大風や火災により、いくたびかの倒壊・焼失を経ましたが、そのたびに再建されました。現在の塔は、弘化2年(1845)、仁孝天皇の御綸旨により再建が始められ、明治35年(1902)に完成したものです。
初層には五智如来像のうちの4体が安置され、毎年ゴールデンウィークに特別公開を行っています。※画像2

善通寺の歴史・由来

五岳山 善通寺の創建は、『多度郡屏風浦善通寺之記』(江戸時代中期成立)によると、唐より帰朝されたお大師さまが、御父の寄進した四町四方の地に、師である恵果和尚の住した長安・青龍寺を模して建立したお寺で、大同2年(807)臘月(陰暦12月)朔日に斧始めを行い、弘仁4年(813)6月15日に落慶し、父の諱「善通(よしみち)」をとって「善通寺」と号したと記されています。

鎌倉時代に佐伯家の邸宅跡に「誕生院」が建立され、江戸時代までは、善通寺と誕生院のそれぞれに住職をおく別々のお寺でしたが、明治時代に至り善通寺として一つのお寺となりました。現在は真言宗善通寺派の総本山であり、また四国八十八ヶ所霊場の75番札所でもあります。

現在の善通寺は「屏風浦五岳山誕生院善通寺」と号し、山号の「五岳山」は、寺の西にそびえる香色山・筆山・我拝師山・中山・火上山の五岳に由来し、その山々があたかも屏風のように連なることから、当地はかつて「屏風浦」とも称されました。そして、「誕生院」の院号は、お大師さま御誕生の地であることを示しています。御誕生所である善通寺は、京都の東寺、和歌山の高野山とならぶ弘法大師三大霊跡のひとつとして、古くから篤い信仰をあつめてまいりました。

総面積約45,000平方メートルに及ぶ広大な境内は、「伽藍」と称される東院、「誕生院」と称される西院の東西二院に分かれています。金堂、五重塔などが建ち並ぶ「伽藍」は、創建時以来の寺域であり、御影堂を中心とする「誕生院」は、お大師さまが御誕生された佐伯家の邸宅跡にあたり、ともに弘法大師御誕生所としての由縁を今に伝えています。

善通寺の見どころ

金堂・五重塔・御影堂(弘法大師が御誕生された佐伯家の邸宅地に建ち、奥殿には大師自筆と伝わる本尊・瞬目(ひめき)大師像が秘蔵されています。現在の建物は天保2年(1831)に再建され、昭和12年に大規模な修築がされました。また、御影堂地下には、約100メートルの「戒壇めぐり」があり、暗闇の中、御宝号を唱えながら大師と結縁する道場となっています。

第75番札所 五岳山 誕生院 善通寺
(ごがくざん たんじょういん ぜんつうじ)

宗派
真言宗善通寺派
本尊
薬師如来
開基
弘法大師
創建
大同2年(807)
真言
おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

アクセス情報

所在地
〒765-0003 香川県善通寺市善通寺町3-3-1
電話
0877-62-0111(代表)
駐車場
あり
宿坊
あり(250人収容)
公式HP
https://www.zentsuji.com/

善通寺インターチェンジから琴平町向きに国道319号線へ。西原北交差点を右折、県道4号線を直進すると西院に繋がる大駐車場に着きます。
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医王山 多宝院 甲山寺

【御詠歌】
十二神味方に持てる戦には
己と心かぶと山かな

本堂

檜の一木造りで、重厚な姿と力強く引き締まった表情が印象的な「薬師如来像」が祀られています。※画像1

毘沙門天の岩窟

大師堂の左手にある奥行12mほどの岩窟。大師が彫ったといわれる毘沙門天像が祀られています。※画像2

甲山寺の歴史・由来

甲山寺周辺は弘法大師の故郷で、幼少時代によく遊んだといわれる場所。平安初期、壮年期になった弘法大師は善通寺と曼荼羅寺の間に伽藍を建立する霊地を探していました。
ある時甲山を歩いていると、麓の岩窟から老人が現れ「私は昔からここに住み、人々に幸福と利益を与え、仏の教えを広めてきた聖者だ。ここに寺を建立すれば私がいつまでも守護しよう。」と言いました。弘法大師は大変喜び、毘沙門天像を刻んで岩窟に安置し、供養しました。

その後、嵯峨天皇の勅命を受けてこの地にある日本最大の溜池「満濃池」の修築工事を監督する別当に任命された弘法大師。朝廷が派遣した築池使さえも達成できなかった難しい工事です。弘法大師は甲山の岩窟で修復工事の完成を祈願し、薬師如来像を刻んで修法しました。すると大師を慕って数万人の人々が集まり、力を合わせてわずか三ヶ月で完成させたのです。朝廷からこの功績を称えられ、金二万銭を与えられた弘法大師は、その一部を寺の建立にあて、先に祈願をこめて刻んだ薬師如来を本尊とし、安置。山の形が毘沙門天の甲冑の形に似ていることから「甲山寺」と名づけられました。
薬師如来は、心身に災いする一切のものを除くといわれる仏様。甲山寺を訪れた人々の力強い支えとなっていることは言うまでもありません。

甲山寺の見どころ

本堂・毘沙門天の岩窟・子安地蔵(大師堂へ続く石段の隣に祀られたお地蔵様は子宝にご利益があるとか。子宝を願ってお地蔵様の前掛けを持ち帰り、叶うと新しい前掛けを持ってくる習わし。)

甲山寺の年中行事

毘沙門天の秘法修め
毘沙門天の秘法を修め、開運お守りをお授けします。
日時:毎年正月三が日
秋彼岸中日・彼岸会永代供養法要
日時:9月23日

第74番札所 医王山 多宝院 甲山寺
(いおうざん たほういん こうやまじ)

宗派
真言宗善通寺派
本尊
薬師如来(伝弘法大師作)
開基
弘法大師
創建
平安時代初期
真言
おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

アクセス情報

所在地
〒765-0071 香川県善通寺市弘田町1765-1
電話
0877-63-0074
駐車場
あり(有料)
宿坊
なし
公式HP
なし

善通寺インターチェンジから観音寺市内向きに国道11号線へ。高速の高架をくぐると、看板が角ごとに現れるのでそれに従います。曼茶羅寺を過ぎて左折、直進すれば見えてきます。
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我拝師山 求聞持院 出釈迦寺

【御詠歌】
迷いぬる六道衆生救わんと
尊き山に出づる釈迦寺

捨身ヶ嶽禅定

寺の境内から50分ほど登った場所にあり、さらに100m進むと大師捨身のお行場が毎月旧暦15日には護摩祈祷が行われています。※画像1

捨身ヶ嶽遙拝所

捨身ヶ嶽禅定まで登れなくても、ここでご宝号を唱え、祈願すれば同じぐらいのご利益があるといわれます。※画像2

出釋迦寺の歴史・由来

出釋迦寺の開基には、弘法大師幼少期の数ある伝説のひとつ「捨身ヶ嶽」縁起にゆかりがあります。それは、弘法大師が“真魚”と呼ばれていた7歳の時。我拝師山に登り「私は将来仏門に入り、仏の教えを広めて多くの人を救いたい。私の願いが叶うなら釈迦如来よ、姿を現したまえ。もし叶わぬのなら一命を捨ててこの身を諸仏に捧げる」と、断崖絶壁から身を投じました。すると、紫色の雲が湧き、釈迦如来と羽衣をまとった天女が舞い降り、雲の中で弘法大師を抱きとめました。命を救われ、願いが叶うことを示された弘法大師は、青年になって我拝師山の山頂で刻んで安置し、堂宇を建てたといいます。

この場所は「捨身ヶ嶽禅定」といわれ元は札所でしたが、今は寺の奥の院となり、境内から急坂を50分ほど上がった場所にあります。弘法大師が虚空蔵菩薩の真言を100万回唱える「求聞持法」を修めたことから「求聞持院」という院号がつきました。ここで拝むとすばらしい記憶力が得られ、学業成就や物忘れにご利益があるといわれています。

また、弘法大師が身を投じた場所は、ここからさらに50mほど登った場所にあります。下を見れば足のすくむような深い谷底ですが、眼下には讃岐平野や瀬戸内海を一望できる絶景が広がります。

出釋迦寺の見どころ

捨身ヶ嶽禅定・捨身ヶ嶽遙拝所・本堂(弘法大師作の本尊・釈迦如来と、脇仏に不動明王、虚空蔵菩薩があります。)

出釋迦寺の年中行事

奥の院縁日
先祖供養や護摩祈祷が行われる。この日に限り境内から奥の院まで無料送迎あり。縁日の後、堂内で宿泊も可能。(参籠料1,000円)
日時:毎月旧暦15日・18:30から祈祷
場所:我拝師山中腹
※天候により(大雨・大雪等)中止となる場合もあるのでお問い合わせください。
節分大般若転読法要
日時:2月3日
永代供養法要
日時:旧暦3月15日
きゅうりの加持供養
日時:土用丑の日

第73番札所 我拝師山 求聞持院 出釈迦寺
(がばいしざん ぐもんじいん しゅっしゃかじ)

宗派
真言宗御室派
本尊
釈迦如来
開基
弘法大師
創建
奈良後期〜平安時代前期
真言
のうまく さんまんだ ぼだなん ばく

アクセス情報

所在地
〒765-0061 香川県善通寺市吉原町1091
電話
0877-63-0073
FAX
0877-62-2319
駐車場
あり(無料)※普通車30台、大型車5台(駐車場が広くなりました)
宿坊
なし
公式HP
なし

善通寺インターチェンジから琴平町向きに国道329号線へ西原北交差点を右折、県道48号線を直進する(ここまでは善通寺と同じアクセス)と善通寺甲山寺を過ぎ、焼肉店の信号を左折、看板に従って進み、曼荼羅寺を過ぎて左折、直進すると当寺が見えます。
※国道11号線からは看板がありませんので、ご注意ください。
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我拝師山 延命院 曼荼羅寺

【御詠歌】
わずかにも曼荼羅拝む人はただ
再び三度帰らざらまし

聖観音立像

観音堂に安置されており、158cmの檜一木造りで端麗な佇まい。平安後期の作。香川県有形文化財。四国88カ所記念切手にこの仏様のお顔が描かれています。※画像1

笠松大師

笠松と呼ばれていた「不老松」の幹に刻んだ弘法大師座像。お遍路さんは笠松大師をさすっては在りし日の姿を偲んでいます。※画像2

曼荼羅寺の歴史・由来

縁起によると、創建は四国霊場で最も古い推古四年(596)。讃岐の領主・佐伯家の氏寺として創建され、初め「世坂寺(よさかでら)」と称していました。弘法大師がこの寺を訪れたのは唐から帰朝した翌年のこと。母玉依御前の仏果菩提を祈るためだったともいわれています。唐の青龍寺にならって伽藍を三年がかりで建立。本尊に大日如来を祀り、唐から持ち帰った金剛界と胎蔵界の曼荼羅を安置し、寺名を「曼荼羅寺」に改めました。
また、四国霊場の古い案内書には、樹齢1200年を超す弘法大師お手植えの「不老松」の存在も紹介されています。高さは4m足らずですが直径が17〜18mもあり、菅笠をふたつ伏せたような印象的な姿で県の自然記念物にも指定されていました。しかし、松食い虫に浸食され、平成14年に伐採されています。

曼荼羅寺の近くには「水茎の丘」という丘がありますが、ここに庵を建てて7年余り暮らしていたのが西行法師。この寺に通い、本堂前の平らな石の上でよく昼寝をしていたようで、この石は「西行の昼寝石」と呼ばれ今も同じ場所にあります。また、その横には「笠掛桜」と呼ばれる桜の木も。西行が都に帰る際、同行者が形見にと桜の木に笠をかけたまま出発したのを見て「笠はありその身はいかになりぬらんあはれはかなきあめが下かな」という歌を詠んだそうです。

曼荼羅寺の見どころ

聖観音立像・笠松大師・西行の昼寝石(平安時代末期の歌僧・西行がこの寺に通っては昼寝をしていたという石。)

曼荼羅寺の年中行事

永代経土砂加持法要
日時:春の彼岸入り日
星供
日時:冬至、大晦日、節分

第72番札所 我拝師山 延命院 曼荼羅寺
(がはいしざん えんめいいん まんだらじ)

宗派
真言宗善通寺派
本尊
大日如来
開基
弘法大師
創建
大同2年(807)
真言
おん あびらうんけん ばざらだどばん

アクセス情報

所在地
〒765-0061 香川県善通寺市吉原町1380-1
電話
0877-63-0072
駐車場
あり
宿坊
なし
公式HP
https://www.mandaraji.jp
公式SNS
facebook

善通寺インターチェンジから琴平方面に向かって右折、最初の陸橋交差点を右折して県道48号線を西へ。吉原公民館の信号を左折、団地の中程を右折して進むと右手に見えてきます。
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剣五山 千手院 弥谷寺

【御詠歌】
あくにんとゆきつれなんも弥谷寺
ただかりそめも良きともぞよき

本堂

仁王門から石段を400段(裏参道有料道を使うと120段)登った所に大師堂があります。本堂は、さらに140段登ると岩山に囲まれるように佇んでいます。本堂裏の岩山の洞穴に不動明王と毘沙門天の扉をはめ、千手観音を安置したとされ、その拝堂として本堂は建立されたと伝わります。本堂からは讃岐平野を一望することができます。※画像1は本堂

獅子の岩屋

大師堂の奥にあり、獅子が口を開いたような岩窟で、弘法大師が明星之窓(岩屋右手)からの光りで学問修行に励まれ、帰朝のち金銅の五鈷鈴を納めたといいます。大師像のほか父君・母君・摩崖仏などが刻まれ、五鈷鈴は国の重要文化財に指定されています。※画像2は獅子之岩屋

弥谷寺の歴史・由来

創建について

今からおよそ1300年前。人皇第45代聖武天皇の勅願により、行基菩薩が堂宇を建立し、疾病平癒の為、光明皇后により、『大方広仏華厳経』がお祀りされ、寺院を創建したといわれています。また、華厳経以外にも、寺宝の経典の中には天平年間724年頃につくられた経典が残っており、少なくとも724年以前には寺院が建立されていた事が伺へ、大師生誕(774年)の50~100年程前に創建された事が分かっています。

霊山信仰

弥谷寺のある弥谷山は、古来より霊山(仏山)として信仰されたといわれ、日本三大霊場の一つに数えられたとされます。古来より、人々は山々に仏や神が宿ると信じ、その山を霊山(霊峰)と呼び信仰の対象としたとされ、この信仰は、お遍路の元となった、辺(遍)路信仰(へじしんこう)の1つともいわれています。弥谷山の霊山信仰では、『本堂下にある、水場横の洞窟が神仏のせかいへの入口だといわれ、特別強く信仰された。』とされ、霊山信仰を持った修験者により刻まれた摩崖仏が今も無数に点在しています。また、こういった信仰は現在も残され、水場の洞窟に水経木と呼ばれる真言を書いた木札をお供えし、山頂から流れ落ちてくる霊水で、経木を洗い清めるお水まつりが参拝されています。

獅子之岩屋

獅子之岩屋は、『弘法大師が9~12歳の頃、この岩屋にて修学(学問)に励まれた』といわれています。

また、寺院創建の頃より、この岩屋の右手奥にある洞窟は経蔵として使われていたとされ、大師はこの経蔵から経典をとりだし、岩屋の窓(明星之窓)からの明かりで、修学に昼夜問わず励まれたといわれています。

岩屋の形が『獅子が咆哮をあげた形に見える事から獅子之岩屋』と呼ばれ、「獅子の咆哮は仏の説法と同じ」という仏教の信仰から、この岩屋の前で信心をおこし参拝する事で、『その身につくあらゆる厄災を獅子が食べ尽くし、その身を護る』といわれ、信仰されています。

洞地蔵尊(ほらぢぞうそん)

首から上の病に御利益があるといわれるお地蔵様です。獅子之岩屋に向かう途中の大師堂内より参拝でき、座って岩壁の10㍍上方を見上げないと姿を見る事ができないお地蔵様です。

弥谷寺の見どころ

大師堂本堂・獅子の岩屋・弥陀三尊磨崖仏(大師堂から本堂へ向かう途中の岩壁にあり、大師が刻んだとされています。「磨崖仏(まがいぶつ)」と呼ばれ、真言を唱えると極楽往生ができるともいわれます。)

弥谷寺の年中行事

修生会
日時:1月1日
息災護摩供養結願/節分会
日時:2月3日
永代経土砂加持法会/春分会(春のお水祀り)
日時:3月20・21日
息災護摩供養
日時:5月20日
本尊会(夏のお水祀り)
日時:7月17日
秋分彼岸法会
冬至(息災護摩供開白)
日時:12月22日

第71番札所 剣五山 千手院 弥谷寺
(けんござん せいじゅいん いやだにじ)

宗派
真言宗善通寺派
本尊
千手観世音菩薩
開基
行基菩薩
創建
天平年間(729〜749)
真言
おん ばざら たらま きりく

アクセス情報

所在地
〒767-0031 香川県三豊市三野町大見70
電話
0875-72-3446
駐車場
あり
宿坊
なし
公式HP
https://iyadanizi.xsrv.jp/

さぬき豊中インターチェンジから高松市内向きに国道11号線・県道48号線へ。ふれあいパークみのの看板に沿って走り、右手少し上がった所に駐車場があります。
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七宝山 持宝院 本山寺

【御詠歌】
もとやまに誰か植江ける花なれや
春こそたをれたむけにぞなる

本堂

国宝に指定され、一重寄棟造り、本瓦葺きの風格あふれる建物。正安2年(1300)建立の奈良風の造りです。※画像1

五重塔

明治43年、住職の頼富実毅(よりとみじっき)が再建。遠くからでも望め、本山寺のシンボルとなっています。※画像2

本山寺の歴史・由来

四国霊場では竹林寺・志度寺・善通寺とこの本山寺の4ヶ所だけという五重塔が目印。天暦3年(950)の建立でしたが損傷が激しく明治43年に再建されました。また、本尊は馬頭観世音菩薩で四国霊場では唯一のもの。頭上に馬頭をいただく観音様で、祀られている本堂のそばには馬の像が控えています。
大同2年(807)平城天皇の勅願により、弘法大師が七十番札所として開基。当時は「長福寺」という名で、本堂は大師が一夜ほどの短期間にて建立したという伝説が残ります。およそ2万平方メートルの広大な境内には国宝の本堂はじめ、仁王門、五重塔、鎮守堂、大師堂、十王堂、赤堂(大日堂)、慰霊堂、鐘楼、客殿などが並び、大寺として栄華を極めた当時を偲ばせます。

天正の兵火では長宗我部軍が本堂に侵入の際、住職を刃にかけたところ脇仏の阿弥陀如来の右手から血が流れ落ち、これに驚いた軍勢が退去したため本堂は兵火を免れたといわれます。この仏は「太刀受けの弥陀」と呼ばれています。その後、「本山寺」と名を改め、今に至ります。

本山寺の見どころ

本堂・五重塔・仁王門(和様・唐様・天竺様という三つの様式の山門。全国でもほかに例のない、どっしりとした構えの八脚門は国指定の重要文化財です。)・鎮守堂(室町時代末期の様式を残す小さな社。桧皮葺き屋根の素朴なたたずまいです。県の指定文化財です。)

本山寺の年中行事

五重塔特別見学会
日時:5月連休(5月3~6)秋の連休
きゅうり加持
日時:7月土用の丑の日
とうろう流し
日時:8月23日 19時〜
ひだまり市
日時:9月最終日曜日
護摩祈祷会
日時:毎月28日9時〜

第70番札所 七宝山 持宝院 本山寺
(しっぽうざん じほういん もとやまじ)

宗派
高野山真言宗
本尊
馬頭観音
開基
弘法大師
創建
大同2年(807)
真言
おん あみりとう どはんば うん ぱった そわか

アクセス情報

所在地
〒769-1506 香川県三豊市豊中町本山甲1445
電話
0875-62-2007
駐車場
あり
宿坊
なし
公式HP
なし

さぬき豊中インターチェンジから観音寺市内向きに国道11号線へ。本山橋北詰の交差点を右折して直進。本山寺の五重塔が見え、左に駐車場があります。
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七宝山 観音寺

【御詠歌】
観音の大悲の力強ければ
おもき罪をも引きあげてたべ

琴弾宮絵縁起

開基の日証上人が琴弾八幡宮を創建した由来を描いた大和絵で、中央の山頂付近に社殿の様子が描かれている。※画像1

最古の落書き

本堂に「常州下妻庄…貞和三年…」(南北朝時代)などと書かれ、貴重な遍路文化の資料とされる。※画像2

観音寺の歴史・由来

観音寺が第六十八番・神恵院と同一境内にあり、開基も創建の時期や由縁も同じであることは、前項で述べている。ただ、創建されたころの寺号は「神宮寺宝光院」と称した。以来、100年後の縁起からたどる。大同2年(807)、弘法大師は琴弾八幡宮の本地仏である阿弥陀如来像を納めたとき、この寺の第7世住職となって入山したと伝わる。そこで大師は、琴弾山の中腹に奈良の興福寺に倣って中金堂、東金堂、西金堂の様式で七堂伽藍を建立し、その中金堂には本尊とする聖観世音菩薩像を彫造して安置した。さらに、この地に仏塔を建てて瑠璃、珊瑚、瑪瑙などの七宝を埋め、地鎮をしたことから、寺名の神宮寺を「七宝山・観音寺」に改め、霊場に定めたとされている。

桓武天皇(在位781〜806)はじめ3代の天皇の勅願所となり、また室町時代には足利尊氏の子・道尊大政大僧正が住職として45年間務めるなど、寺運は隆盛を誇った。だが、やはり明治新政府の神仏分離令により本地仏を移し、一境内に二霊場となった。本堂は、金堂とも呼ばれて室町時代の建築で国指定重要文化財。朱塗りの柱が色鮮やか。境内には宝物館があり、彫刻としては珍しい「仏涅槃像」(厨子入り、平安〜鎌倉時代)をはじめ、絵画では「琴弾宮絵縁起」(絹本著色、鎌倉時代)、「不動二童子像」(絹本著色、室町時代)のほか、前項で触れた本地仏像など国の重要文化財が数多く収蔵されている。

観音寺の見どころ

琴弾宮絵縁起・最古の落書き

第69番札所 七宝山 観音寺
(しっぽうざん かんのんじ)

宗派
真言宗大覚寺派
本尊
聖観世音菩薩
開基
日証上人
創建
大宝3年(703)
真言
おん あろりきゃ そわか

アクセス情報

所在地
〒768-0061 香川県観音寺市八幡町1-2-7
電話
0875-25-3871
駐車場
あり
宿坊
なし
公式HP
http://www.shikoku88-6869.com/

大野原インターチェンジから高松市内向きに国道11号線・県道8号線へ。JR予讃線の踏切を越え、直進。財田川を渡れば、琴弾山麓に駐車場があります。
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