蹉跎山 補陀洛院 金剛福寺

【御詠歌】
ふだらくやここは岬の船のさを
とるもすつるも法の蹉跎山

庭園

仁王門をくぐると嵯峨天皇勅額「補陀洛東門」が迎えてくれる。観音の住む補陀洛界に最も近いとされる。境内は大きな池に諸堂。土佐五色石が映り、108体の仏群に抱かれ、曼荼羅さながらの水鏡である。※画像1

真念庵

金剛福寺への遍路道の途中、土佐清水市に遺る遍路宿で、真念が江戸時代に建てた。※画像2

金剛福寺の歴史・由来

四国の最南端、国立公園の足摺岬を見下ろす丘の中腹にあり、境内は120,000平方メートルを誇る大道場。弘法大師はその岬突端に広がる太平洋の大海原に観世音菩薩の理想の聖地・補陀落の世界を感得した。ときの嵯峨天皇(在位809〜23)に奏上、勅願により伽藍を建立、勅額「補陀洛東門」を受し、開創したと伝えられる。弘仁13年、大師49歳のころといわれる。
岬は、濃緑の樹海と白亜の灯台、それに断崖に砕ける波涛、観世音さんの浄土を連想させ、自然の大庭園に圧倒させられるのだが、ここにたどり着く遍路の旅もまた壮絶を極める。前の三十七番札所から80余km、いまは車で約2時間余、歩いたら約30時間、3泊4日はかかり、四国霊場の札所間では最長距離で、まさに「修行の道場」である。

縁起の仔細をみると、大師は伽藍を建立したときに三面千手観世音像を彫造して安置し、「金剛福寺」と名づけられた。「金剛」は、大師が唐から帰朝する際、日本に向けて五鈷杵を投げたとされ、別名、金剛杵ともいう。また、「福」は『観音経』の「福聚海無量」に由来している。歴代天皇の勅願所となり、武将からも尊崇された。とくに源氏一門の帰依が厚く、源満仲は多宝塔を建て、その子・頼光は諸堂の修復に寄与している。
戦国時代以降、海の彼方にある常世の国・補陀落浄土を信仰して、1人で小舟を漕ぎ出す「補陀落渡海」が盛んだったことや、一条氏、山内藩主の支えで寺運は隆盛した。
大師因縁の「足摺七不思議」といわれる遺跡が、岬の突端をめぐるように点在している。

金剛福寺の見どころ

本尊・三面千手観世音立像・土佐五色石の庭園・真念庵・嵯峨天皇宸筆の勅額(「補陀洛東門」と彫られた木額。嵯峨天皇は弘法大師、橘逸勢とともに平安初期の能筆家「三筆」の1人。)

金剛福寺の年中行事

足摺おねはんまつり
日時:旧暦2月15日

第38番札所 蹉跎山 補陀洛院 金剛福寺
(さださん ふだらくいん こんごうふくじ)

宗派
真言宗豊山派
本尊
三面千手観世音菩薩
開基
弘法大師
創建
弘仁13年(822)
真言
おん ばざらたらま きりく

アクセス情報

所在地
〒787-0315 高知県土佐清水市足摺岬214-1
電話
088-088-0038
駐車場
普通40台・マイクロバス5台(無料)
宿坊
あり
公式HP
なし

土佐くろしお鉄道中村駅から、足摺岬を目指す方向で国道56号線・国道321号線を走り、土佐清水市で県道27号線に左折。足摺、中浜方面に直進し、左手にあります。
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藤井山 五智院 岩本寺

【御詠歌】
六つのちり五つの社あらわして
ふかき仁井田の神のたのしみ

大師堂

200年ほど前の建造物で、境内では最も古い。※画像1

本堂内陣の格天井画

昭和53年に新築の際、全国から公募した花鳥風月から人間曼荼羅まで、575枚の絵が天井を彩る。※画像2

岩本寺の歴史・由来

清流四万十川が流れ、標高が300m程の高南台地が広がる四万十町に、五尊の本尊を祀る岩本寺は建立されている。歴史は天平の世まで遡る。寺伝によれば、聖武天皇の勅を奉じた行基菩薩が、七難即滅、七福即生を祈念して、現在地より北西約3㎞の付近にある仁井田明神の傍に建立したと伝えられる末寺七ヶ寺をもつ福圓満寺が前身とされる。仁井田明神の別当職(別当寺)であったことから、仁井田寺とも呼ばれていた。弘法大師がこの寺を訪ねたのは弘仁年間。大師は一社に祀られていた仁井田明神のご神体を五つの社に別け、それぞれの社に不動明王像、観音菩薩像、阿弥陀如来像、薬師如来像、地蔵菩薩像を本地仏として安置した。大師は、さらに末寺五ヶ寺を建立された。このことから、福圓満寺等は七ヶ寺と合わせて十二福寺、また仁井田明神は仁井田五社と呼ばれていた。

天正時代に兵火等で寺社共に一時衰退してしまう。再建の際に、この地域の全ての神社を管掌下においていた岩本寺(当時は岩本坊)に、寺の法灯並びに別当職は遷され、継承される。戦国・江戸時代には武将や藩主等から寺領等の寄進を受け、神仏習合の札所として隆盛を誇っていた。明治になると神仏分離の政策で仁井田五社と分離され、五尊の本地仏と札所が岩本寺に統一され、それに伴う廃仏毀釈の法難に遭い、寺領地の大半を失ってしまう。再建には苦難の道が続いたのであるが、少しずつ伽藍を整備し現在に至っている。

岩本寺の見どころ

大師堂・本堂内陣の格天井画

岩本寺の年中行事

新春特別祈祷
日時:1月2日
節分会(星供養会)
日時:2月3日
弘法大師祭
日時:3月20日~21日
花まつり(仏生会)
日時:4月8日
四国遍路
日時:6月初旬
盂蘭盆
日時:8月13日~16日
四国遍路
日時:11月初旬
聖天祭
日時:12月18日
除夜祭
日時:12月31日

第37番札所 藤井山 五智院 岩本寺
(ふじいさん ごちいん いわもとじ)

宗派
真言宗智山派
本尊
不動明王・観世音菩薩・阿弥陀如来・薬師如来・地蔵菩薩
開基
行基菩薩(寺伝)
創建
天平年間(729~749)(寺伝)
真言
  • 不動明王: なうまく さんまんだばざらだん せんだまかろしゃだ そはたや うん たらた かんまん
  • 観世音菩薩: おん あろりきゃ そわか
  • 阿弥陀如来: おん あみりたていぜい から うん
  • 薬師如来: おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
  • 地蔵菩薩: おん かかか びさんまえい そわか

アクセス情報

所在地
〒786-0004 高知県高岡郡四万十町茂串町3-13
電話
088-022-0376
駐車場
普通20台・大型4台
宿坊
あり(要予約)
公式HP
なし

36番札所からは、国道56号線を四万十市方面へ。窪川トンネルを抜けて古市町交差点を右折。直進して、二つ目の信号を左折。つきあたりを右折。約120m先左側にあります。
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独鈷山 伊舎那院 青龍寺

【御詠歌】
わずかなる泉にすめる青龍は
仏法守護の誓いとぞきく

愛染明王坐

木造、本堂に安置。国の重要文化財。不動明王像と一対に祀られ、苦しみのすべてを救いとってくれるという。
※画像1

奥の院

境内から南約600m、横浪半島突端の太平洋に落ちそうな所にある。石造の不動明王像が祀られ、長年女人禁制であった。※画像2

青龍寺の歴史・由来

青龍寺を遍路するときは、「宇佐の大橋」を渡る。昭和48年に橋が開通するまでは、浦ノ内湾の湾口約400mを船で渡った。弘法大師も青龍寺を創建するさいに、この湾を船で渡っていた。お供をした8人を残している。その子孫が「竜の渡し」というこの渡し船を、近年まで代々守り続けてきたと伝えられている。
弘法大師が唐に渡り、長安の青龍寺で密教を学び、恵果和尚から真言の秘法を授かって真言第八祖となられ、帰朝したのは大同元年(806)であった。縁起では、大師はその恩に報いるため日本に寺院を建立しようと、東の空に向かって独鈷杵を投げ、有縁の勝地が選ばれるようにと祈願した。独鈷杵は紫雲に包まれて空高く飛び去った。

帰朝後、大師がこの地で巡教の旅をしているときに、独鈷杵はいまの奥の院の山の老松にあると感得して、ときの嵯峨天皇(在位809〜23)に奏上した。大師は弘仁6年、この地に堂宇を建て、石造の不動明王像を安置し、寺名を恩師に因み青龍寺、山号は遙か異国の地から放った「独鈷」を名のっている。
明治のころまで土佐7大寺といわれ、末寺四ヶ寺、脇坊六坊をもつ名刹であった。また、本尊の波切不動明王像は大師が入唐のさい、暴風雨を鎮めるために現れたと伝えられ、いまも航海の安全や豊漁、世間の荒波をも鎮めてくれると、深く信仰されている。

青龍寺の見どころ

愛染明王坐・奥の院・横浪県立自然公園(北側は浦ノ内湾、南には雄大な太平洋の景観を楽しめる公園。)

第36番札所 独鈷山 伊舎那院 青龍寺
(とっこうざん いしゃないん しょうりゅうじ)

宗派
真言宗豊山派
本尊
波切不動明王
開基
弘法大師
創建
弘仁6年(815)
真言
のうまくさんまんだ ばざらだん せんだ まかろしゃだ そわたや うんたらた かんまん

アクセス情報

所在地
〒781-1165 高知県土佐市宇佐町竜163
電話
088-856-3010
駐車場
普通20台(無料)
宿坊
なし
公式HP
なし

土佐インターチェンジから、国道56号線、県道39号線を通り、土佐市宇佐町へ。県道23号線・県道47号線を海沿いに走り、バス停留所を右折します。
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醫王山 鏡池院 清瀧寺

【御詠歌】
澄む水を汲むは心の清瀧寺
波の花散る岩の羽衣

仁王門の天井画

明治33年(1900)清瀧寺の楼門建立に際し、地下の画家久保南窓(くぼなんそう)の揮毫した天井画「蛟竜図」「天女図」の二組が奉納された。竜は中央二面に続き、天女はその左右に描かれ、墨痕鮮やかで流麗闊達な筆致に極彩色が施されており、近郷天井画の白眉である。近年「天女図」は獣害を受け、宝物館に移管される。
久保南窓(1848〜1917)は、弘瀬洞意(ひろせどうい)に学び、また青木南溟(あおきなんめい)に私淑し、南画もよくし地方画家としての名声を博した。※画像1

厄除け薬師如来立像

本堂前、台座を含めると高さ15m。昭和8年、製紙業者による寄贈。台座の中で88段の戒壇巡りができる。

清瀧寺の歴史・由来

土佐市の北部。醫王山の中腹にあるが、ここは「土佐和紙」「手すき障子紙」で知られる高知県の紙どころ。その源をたどると弘法大師と因縁浅からぬ霊場であることがわかる。「みつまた」をさらし、和紙を漉く重要な水の源泉として、信仰の厚い札所である。
縁起によると、養老7年に行基菩薩が行脚していたところ、この地で霊気を感得して薬師如来像を彫造した。これを本尊として堂舎を建て、「影山密院・釋本寺」と名づけて開山したのが初めと伝えられている。弘法大師が訪ねたのは弘仁年間(810〜24)のころ。本堂から300mほど上の岩上に壇を築き、五穀豊穣を祈願して閼伽井権現と龍王権現に一七日の修法をした。満願の日に金剛杖で壇を突くと、岩上から清水が湧き出て鏡のような池になったという。そこで山号や院号、寺名を現在のように改め、霊場とした。

この水は、麓の田畑を潤すことはもとより、「みつまた」をさらし、紙を漉くうえで重宝され、やがては土佐和紙産業をおこすことにも貢献している。
寺伝では、平城天皇(在位806〜09)の第三皇子が弘法大師の夢のお告げで出家し、真如と名のった。真如はこの寺を訪ね、息災増益を祈願して、逆修の五輪塔を建立、後に入唐している。大師十大弟子の1人である。また、江戸時代には土佐藩主の帰依が厚く、寺領百石の寄進を受けるなど、七堂伽藍を備え、末寺10数ヶ寺をもつ土佐路の大寺であった。
厄除け祈願の名刹で、そのシンボルが本堂の屋根より高い大きな薬師如来像である。

清瀧寺の見どころ

本尊・厄除け薬師如来立像・逆修塔(生前に自分を追善供養する塔。今は「不入の山」とされている。)

第35番札所 醫王山 鏡池院 清瀧寺
(いおうざん きょうちいん きよたきじ)

宗派
真言宗豊山派
本尊
厄除薬師如来
開基
行基菩薩
創建
養老7年(723)
真言
おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

アクセス情報

所在地
〒781-1104 高知県土佐市高岡町丁568-1
電話
088-852-0316
駐車場
なし
宿坊
なし
公式HP
なし

土佐インターチェンジから国道56号線を右折。次の信号を右折して直進。約3km。
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本尾山 朱雀院 種間寺

【御詠歌】
世の中にまける五穀のたねまでら
深き如来の大悲なりけり

底抜け柄杓

寺では柄杓の底を抜いて二夜三日の安産祈祷をしたものを、お札を添えて妊婦に授ける。
それを妊婦は床の間に飾り、無事に安産すれば柄杓を寺に納める。※画像1

本尊

肉付きのよいどっしりとした体で、威厳のある表情の薬師如来坐像。国指定重要文化財。※画像2

種間寺の歴史・由来

土佐湾の沿岸は、四国霊場のメッカのようである。種間寺もその一つで、土佐湾の航海に結びついた興味深い縁起が伝えられている。
6世紀のころである。敏達天皇の6年(577)百済の皇子から多くの経論とともに、仏師や造寺工を贈る旨の勅書がとどいた。彼らが渡来したのは用明天皇(在位585〜87)の時代、大阪・四天王寺の造営にあたった。ようやく落慶し、その帰途の航海中であった。土佐沖で強烈な暴風雨におそわれて、種間寺が建つ本尾山にほど近い秋山の港に難を逃れて寄港した。彼らは、海上の安全を祈って約145㎝の薬師如来坐像を彫造し、本尾山の山頂に祀った。これが寺の起源とされている。

その後、200年以上が経過して、唐から帰朝した弘法大師がこの地を訪ねたのは弘仁年間である。大師はその薬師如来像を本尊として安置し、諸堂を建てて開創された。その折に唐からもち帰った種子の米、麦、あわ、きび、豆またはひえの五穀を境内に蒔いたことから、種間寺と名付けたといわれる。
天暦年間(947〜57)には、ときの村上天皇(在位946〜67)が「種間」の勅額を下賜され、また、土佐藩主の山内公からの加護が厚く、広大な田畑や山林を寄贈されており、堂舎の修築も行われている。ただ、やはり廃仏毀釈の難では、容赦がなかった。
本尊は「安産の薬師さん」で、また、底の抜けた柄杓に人気があり、信者が多い。

種間寺の見どころ

底抜け柄杓・本尊・手水鉢(町内最古で町の指定文化財。延宝5年(1677)に造られたもの。)

種間寺の年中行事

本尊御開帳
日時:正月三が日 3月8日

第34番札所 本尾山 朱雀院 種間寺
(もとおざん しゅじゃくいん たねまじ)

宗派
真言宗豊山派
本尊
薬師如来
開基
弘法大師
創建
弘仁年間(810〜824)
真言
おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

アクセス情報

所在地
〒781-0321 高知県高知市春野町秋山72
電話
088-894-2234
駐車場
普通70台・大型5台(無料)
宿坊
なし
公式HP
なし

土佐インターチェンジから、国道56号線で春野町方面へ。土佐電交通長浜下車。
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高福山 幸福院 雪蹊寺

【御詠歌】
旅の道うえしも今は高福寺
のちのたのしみ有明の月

太玄塔

失明に近い眼病ながら、裸足で7回目の遍路をしているところを太玄和尚に救われる。96歳の生涯。
昭和の傑僧といわれ終戦にかかわる当時の鈴木首相から戦争をいかに終わらせるかの相談を受け天皇は象徴として、日本は負けて勝つべきと説き、鈴木首相にあ てた書簡からの「堪え難きを耐え忍び難きを忍び」の陛下の玉音放送の文言は有名。※画像1

玄峰塔

廃仏毀釈で廃寺となった寺を復興させた17代、山本太玄住職の供養塔。次の18代・玄峰和尚の師でもある。※画像2

雪蹊寺の歴史・由来

土佐湾の桂浜は、白砂の美しい月の名所として知られる。幕末の志士、坂本龍馬の銅像が立っていることでも名高い。雪蹊寺はそこから西へ約4キロほどである。雪蹊寺の縁起は、まず3つの特色から挙げておく。
1つ目は、四国八十八ヶ所霊場のうち2ヶ寺しかない臨済宗妙心寺派の寺院であること。弘法大師によって弘仁6年に開創されたころは真言宗で、「高福寺」と称した。その後、寺名を「慶運寺」と改めているが、廃寺となっていた寺を再興したのは戦国時代の土佐領主・長宗我部元親公で、元親の宗派である臨済宗から月峰和尚を開山として初代住職に招き、中興の祖とした。元親の死後、四男の盛親が後を継いで長宗我部家の菩提寺とし、元親の法号から寺名を「雪蹊寺」と改め、今日にいたっている。

2つ目は、鎌倉時代の高名な大仏師、運慶とその長男、湛慶がこの寺に滞在し、運慶は本尊の薬師如来像と脇侍の日光・月光菩薩像を制作、また、湛慶は毘沙門天像と吉祥天女像、つぶらな瞳で小首をかしげるかわいい善膩師童子像を彫造して安置したとされる。一時、慶運寺と名のったのもこうした由縁で、弟子の道運、海覚作の12神将共に16体、これらはすべて国の重要文化財に指定されている。
3つ目は、「南学発祥の道場」といわれ、江戸初期の住職、天質和尚が朱子学南学派の祖として活躍し、谷時中野中兼山などのすぐれた儒学者を数多く生みだしている。
雪蹊寺で出家し四国を17回遍路した山本玄峰師は、まさに行雲流水の禅僧であった。

雪蹊寺の見どころ

太玄塔・玄峰塔・月法和尚基・信親の墓(長宗我部元親の長男。豊臣秀吉の九州征伐に従い、豊後で家臣700人と討ち死にした。)観音堂天女絵・運慶、堪慶作他16体重要文化財仏像(仏像拝観は要予約)

雪蹊寺の年中行事

節分厄除け/般若心経百巻続経
日時:2月3日
花まつり
日時:旧暦4月8日
盆/ソトバ供養
日時:7月 第1日曜日
施餓鬼
日時:10月 第2日曜又は第3日曜日
除夜の鐘/そば接待
日時:12月31日
安産子安地蔵祭
日時:7月 第3日曜日

第33番札所 高福山 幸福院 雪蹊寺
(こうふくざん こうふくいん せっけいじ)

宗派
臨済宗妙心寺派
本尊
薬師如来
開基
弘法大師
創建
弘仁6年(815)
真言
おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

アクセス情報

所在地
〒781-0270 高知県高知市長浜857-3
電話
088-837-2233
駐車場
普通なら10台・マイクロバスなら5台・大型なら3台(午前6時〜午後6時・志納金「隣接の奉神社の土地」)
宿坊
あり(夜具なし)17:00までに入れのこと
公式HP
なし

高知インターチェンジから、はりまや橋方面へ向い、県道34号線から、高知南郵便局先の交差点を右折100m駐車場。
又は、瀬戸バイパスに上り雪蹊寺別れ左に降り左側20m駐車場。
土佐電交通長浜下車。
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八葉山 求聞持院 禅師峰寺

【御詠歌】
静かなるわがみなもとの禅師峰寺
浮かぶ心は法の早船

寺宝

鎌倉後期・徳治3年(1308)の梵鐘、室町時代・永禄13年(1570)の鰐口。ともに県指定文化財。※画像1

金剛力士像

※画像2

禅師峰寺の歴史・由来

太平洋のうねりが轟く土佐湾の海岸に近い。小高い山、とはいっても標高82mほどの峰山の頂上にあることから、地元では「みねんじ」とか「みねでら」「みねじ」と呼ばれ、親しまれている。また、海上の交通安全を祈願して建立されたということで、海の男たちは「船魂の観音」とも呼んでいる。漁師たちに限らず、藩政時代には参勤交代などで浦戸湾から出航する歴代の藩主たちは、みなこの寺に寄り航海の無事を祈った。
縁起によると、行基菩薩が聖武天皇(在位724〜49)から勅命をうけて、土佐沖を航行する船舶の安全を願って、堂宇を建てたのが起源とされている。のち、大同1年、奇岩霊石が立ち並ぶ境内を訪れた弘法大師は、その姿を観音の浄土、仏道の理想の山とされる天竺・補陀落山さながらの霊域であると感得し、ここで虚空蔵求聞持法の護摩を修法された。このとき自ら十一面観世音菩薩像を彫造して本尊とされ、「禅師峰寺」と名付け、また、峰山の山容が八葉の蓮台に似ていたことから「八葉山」と号した。

以来、土佐初代藩主・山内一豊公はじめ歴代藩主の帰依をうけ、「船魂」の観音さんは今も一般の漁民たちの篤い信仰を集めている。仁王門の金剛力士像は、鎌倉時代の仏師、定明の作で国指定重要文化財。堂宇はこぢんまりと肩を寄せ合うように建っているが、境内は樹木におおわれ、奇怪な岩石が多く、幽寂な雰囲気を漂わせている。
芭蕉の句碑「木がらしに岩吹き尖る杉間かな」は、本堂前の奇岩の間にある。

禅師峰寺の見どころ

禅師・寺宝・武市半平太(別名瑞山・土佐勤王党を組織した藩士。寺を下った場所に旧宅と墓がある。)

禅師峰寺の年中行事

大般若会
日時:6月17日14時〜

第32番札所 八葉山 求聞持院 禅師峰寺
(はちようざん ぐもんじいん ぜんじぶじ)

宗派
真言宗豊山派
本尊
十一面観世音菩薩
開基
行基菩薩
創建
大同2年(807)
真言
おん まか きゃろにきゃ そわか

アクセス情報

所在地
〒783-0085 高知県南国市十市3084
電話
088-865-8430
駐車場
普通30台・マイクロバス10台・大型5台(無料)
宿坊
なし
公式HP
なし

高知インターチェンジから、五台山、桂浜方面へ向い、直進し、大平山トンネルを抜けて高知新港の交差点を左折、そのまま直進して禅師峰寺の案内板を右折、禅師峰寺入口の案内板を左折、山道を登るとあります。
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五台山 金色院 竹林寺

【御詠歌】
南無文殊三世(みよ)の仏の母ときく
我(われ)も子なれば乳(ち)こそほしけれ

五台山

中国では山西省にある標高3000mの霊山。
文殊菩薩の霊場として仏教信仰の中心地として栄えた。高知の五台山は標高145m、山全体が高知県立都市公園。※画像1

五重塔

昭和55年の建立。高さ31.2m、総檜造り、鎌倉時代初期の様式。県内唯一の五重塔。※画像2

竹林寺の歴史・由来

土佐の高知の播磨屋橋で坊さんかんざし買うを見た…で有名な「よさこい節」の舞台であるほか、学僧・名僧があつまる「南海第一道場」とされた学問寺院としても知られる。鎌倉から南北朝時代の高名な臨済宗の学僧、夢窓国師(1275〜1351)が山麓に「吸江庵」を建てて修行、2年余も後進の育成に努めた。また、門前横には高知が生んだ世界的な植物学者、牧野富太郎博士(1862〜1957)の記念館と県立牧野植物園があるように、土佐の信仰や文化の中心地とも、土佐随一の名刹ともいわれた。
縁起では、神亀元年ころ、聖武天皇(在位724〜49)が中国・五台山に登り、文殊菩薩に拝した夢を見た。天皇は、行基菩薩に五台山の霊地に似た山容を見つけるよう命じた。行基菩薩はこの地が天皇の霊夢にふさわしいと感得、自ら栴檀の木に文殊菩薩像を彫り、山上に本堂を建てて安置した。その後、大同年間(806〜10)に弘法大師がここに滞在して瑜伽行法を修法し、荒廃した堂塔を修復、霊場にされたという。

慶長6年(1601)に山内一豊公が土佐初代藩主になって以来、歴代藩主の帰依が厚く、祈願所として寺運は隆盛した。「文殊堂」と呼ばれる本堂は、江戸時代前期の建立で国の重要文化財。この他、山門左手の宝物館には藤原時代から鎌倉時代にかけての国指定重要文化財の仏像17躰が収蔵されており、まさに県内きっての文化財の宝庫といえる。
眼下に高知の市街が眺められ、瓢箪形に食い込んだ浦戸湾が美しく広がって見える。

竹林寺の見どころ

五台山・五重塔・庭園(夢窓国師の作と伝えられ、国の指定名勝。)

竹林寺の年中行事

お福分け
日時:1月1日〜3日
仁王尊祈願会
日時:1月16日と旧暦1月16日
初文殊会式
日時:1月25日
節分会
日時:2月3日
針供養祭
日時:2月8日
涅槃会
日時:2月15日
春彼岸会
日時:お彼岸の入り日(変更有り)
花まつり
日時:旧暦4月8日
夏文殊会式
日時:6月24日
お盆供養
日時:7月上旬〜8月末まで
一休さん修行
日時:7月下旬〜8月(4回開催)
秋彼岸会
日時:お彼岸の入り日(変更有り)
五台山観月回
日時:中秋の名月頃
竹林寺秋まつり
日時:11月下旬の土・日
成道会
日時:12月8日
除夜の鐘
日時:12月31日

第31番札所 五台山 金色院 竹林寺
(ごだいさん こんじきいん ちくりんじ)

宗派
真言宗智山派
本尊
文殊菩薩
開基
行基菩薩
創建
神亀元年(724)
真言
おん あらはしゃ なう

アクセス情報

所在地
〒781-8125 高知県高知市五台山3577
電話
088-882-3085
駐車場
普通100台・マイクロバス10台・大型5台(無料)
宿坊
なし
公式HP
http://www.chikurinji.com/
公式SNS
instagram

高知インターチェンジから、高知北環状線を高知市街方面へ向い、国道32号線に左折、高須新町4丁目交差点で右折した後、五台山方面へ。標識に従って山道を登ると、左手にあります。
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百々山 東明院 善楽寺

【御詠歌】
人多くたち集まれる一ノ宮
昔も今も栄えぬるかな

梅見地蔵

安地蔵堂の左。文化13年(1816)の建立。首から上の病や悩みにご利益ありとされる珍しいお地蔵さん。近年では脳の病気、ノイローゼの快癒から合格祈願をする参詣者も多い。※画像1

天邪鬼

境内の手水舎の下で石の手水を支えている邪鬼。天邪鬼は毘沙門天像についている鬼の顔がその原形。

善楽寺の歴史・由来

高知城へは約6㎞、JR高知駅まで約4㎞というこの辺り一帯は、往時「神辺郷」といわれ、土佐では最も古くから栄えた地方である。 縁起によると、桓武天皇が在位(781〜806)されていたあとの大同年間に弘法大師がこの地を訪れ、土佐国一ノ宮・総鎮守である高鴨大明神の別当寺として、善楽寺を開創され霊場と定められた。
以来、神仏習合の寺院として法灯の護持につとめ、神仏の信仰を啓蒙して栄えている。とくに土佐2代藩主・山内忠義公のころには武門の庇護をうけて寺は興隆し、繁栄をきわめた。だが、明治新政府による廃仏毀釈の難を受けて寺運は一変し、昭和4年に再興されるまで苦難の日々が続いた。その後、2ヶ寺で納経ができるなど混迷の時期を経て、平成6年1月1日を以って「善楽寺」は第三十番霊場として現在にいたっている。

本堂左隣の大師堂は大正時代の建立。ここの大師像は「厄除け大師」として知られ、厄年にお参りしたり、交通安全などを祈願すると霊験があらたかと伝えられる。また、境内には「子安地蔵堂」があり、弘法大師作といわれるやさしいお顔の地蔵尊が祀られている。難産で苦しんでいる妊婦を、大師が祈祷し安産させたという伝説があり、安産や子宝祈願にご利益があるといわれる。さらに水子供養の祈願にも参詣する人が多い。
本坊前は開放的な雰囲気が漂う。土佐一ノ宮の別当寺として栄えた古刹である。

善楽寺の見どころ

梅見地蔵・天邪鬼・本堂(昭和58年に改築。)

善楽寺の年中行事

善楽寺初祭り
日時:2月1日
節分厄除け
日時:2月3日
花まつり
日時:4月8日(婦人部による甘茶接待)

第30番札所 百々山 東明院 善楽寺
(どどざん とうみょういん ぜんらくじ)

宗派
真言宗豊山派
本尊
阿弥陀如来
開基
弘法大師
創建
大同年間(806〜810)
真言
おん あみりた ていせい からうん

アクセス情報

所在地
〒781-8131 高知県高知市一宮しなね2丁目23-11
電話
088-846-4141
駐車場
普通20台・大型4台(無料)
宿坊
なし
公式HP
http://www.zenrakuji.sakura.ne.jp/

高知インターチェンジから、高知北環状線を高知市街方面へ向い、県道384号線へ左折。約2km走り、バス停一宮神社前を左折し、突き当たり右手にあります。
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摩尼山 宝蔵院 国分寺

【御詠歌】
国を分け宝を積みて建つ寺の
末の世までの利益残せり

国指定文化財

画像1は木造薬師如来立像。その他の文化財としては半鐘などがある。

金堂

外観は素朴ながら、古雅で閑寂の気品を備えている。※画像2

国分寺の歴史・由来

土佐の国分寺といえば、平安中期の歌人、紀貫之(868〜945頃)が浮かんでくる。とくに貫之が著した『土佐日記』は、女性の筆に託して書かれた仮名日記であることはあまりにも有名であるし、貫之が国司として4年間滞在した国衙は、国分寺から北東1㎞ほどの近くで「国分寺共々土佐のまほろば」と呼ばれ、土佐の政治・経済・文化の中心地であった。
聖武天皇(在位724〜49)が『金光明最勝王経』を書写して納め、全国68ヶ所に国分寺を建立したのは天平13年のころ。土佐では行基菩薩が開山し、天下の泰平と五穀の豊穣、万民の豊楽をねがう祈願所として開創された。歴代天皇からの尊信が厚く、加護をうけてきた。
縁起によると、弘法大師がこの地を巡錫したのは弘仁6年(815)のころで、毘沙門天像を彫造して奥の院に安置された。その際に本堂で真言八祖に相承される厄除けの「星供の秘法」を修められた。以来、土佐国分寺は「星供の根本道場」となっている。

本尊千手観世音菩薩を祀る国分寺の本堂(金堂)は、長宗我部国親元親親子が、永禄元年に再建。外観は柿葺き、寄棟造りで天平様式を伝え、内部の海老紅梁は土佐最古といわれ、室町時代の特色が見られる。現在国の重要文化財に指定されている。また、仁王門は明暦元年(1655)、土佐2代藩主・山内忠義公の寄進で建立され、現在の仁王門は昭和の初めに再建され、二層造りである。1250年余の面影を残す境内地は、全域が国の史跡に指定され、杉苔が美しい庭園で「土佐の苔寺」ともいわれる。

国分寺の見どころ

国指定文化財・金堂・庭園、句碑(本堂を背にして、春は桜・牡丹、初夏には紫陽花、秋には萩と、心やすまる参道、創建当時の七重塔の心柱をささえた礎石、杉苔の美しい庭園が広がる。また、高浜虚子の五女・高木晴子さん、長男・年尾さん、孫・稲畑汀子さんの句碑などがある。)・弥生時代の住居跡(昭和52年の発掘調査で発見。)

国分寺の年中行事

節分星祭り
日時:2月3日
花まつり
日時:旧4月8日
十七夜祭(お盆総供養)
日時:旧7月17日
御影供
日時:毎月21日
不動護摩供
日時:毎月28日
大晦日除夜の鐘
日時:12月31日

第29番札所 摩尼山 宝蔵院 国分寺
(まにざん ほうぞういん こくぶんじ)

宗派
真言宗智山派
本尊
千手観世音菩薩
開基
行基菩薩
創建
天平13年(741)
真言
おん ばざらたらま きりく

アクセス情報

所在地
〒783-0053 高知県南国市国分546
電話
088-862-0055
駐車場
普通/45台・大型/5台(無料)
宿坊
なし
公式HP
http://www.tosakokubunji.org/

南国インターチェンジから、国道32号線を南国方面へ、道の駅南国の前を左折し、県道45号線に入ります。約2km走り、バス停国分寺通りを右折し約400m走ると右手に見えてきます。
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