法界山 高照院 大日寺

【御詠歌】
露霜と罪を照らせる大日寺
などか歩みを運ばざらまし

本堂

檜と松を使って平成9年に再建されたが、釘を使わず木組みだけで造られた。※画像1

大師堂

昭和58年に改修。大師像は土佐2代目藩主・山内忠義公が寄贈した。※画像2

大日寺の歴史・由来

境内には四季折々の花が咲き、巡拝者の目を楽しませてくれる。早春にはサンシュユの花、3月彼岸ごろにはしだれ桜、本坊前のコブシの花、10月中旬から十月桜や万両が見頃を迎える。
縁起によると、聖武天皇(在位724〜49)の勅願により、行基菩薩が大日如来の尊像を彫造し、堂宇に安置して開創されたと伝えられる。その後、寺は荒廃したが、弘法大師が四国を巡教された弘仁6年(815)、末世の人々の安泰を祈り、楠の大木に爪で薬師如来像を彫られ、これを祀って復興されたという。
以後、隆盛を誇り、七堂伽藍や末寺、脇坊も備わり、17世紀初頭の慶長年間(1596〜1615)からは土佐藩の祈願寺となって、堂塔も整備された。明治新政府の神仏分離令によって一時は廃寺となったが、本尊は「大日堂」と改称した本堂に安置していたので救われ、明治17年に再興されて現在にいたっている。

行基菩薩作とされる金剛界大日如来坐像は、高さが約146㎝の寄せ木造りで、四国では最大級。また、脇仏の聖観世音菩薩立像は智証大師作と伝えられ、これも高さ約172㎝と大きく、ともに国の重要文化財に指定されている。また、大師ゆかりの楠の霊木は「爪彫り薬師」と呼ばれ、奥の院とされている。その楠は明治初めの大風で倒れたが、跡地に一堂を建てて安置している。この霊木は、頭、眼、鼻、耳、顔など首から上の病に霊験があらたかとされている。薬師堂の脇には、土佐名水40選にも選ばれた大師御加持水が湧く。

大日寺の見どころ

本堂・大師堂・野市百人衆(武将・長宗我部軍の遺臣たち100人を使って水田を開拓させた。彼らは土佐郷士の初めとなった。)・龍河洞(日本三大鍾乳洞のひとつ。全長4km。)

第28番札所 法界山 高照院 大日寺
(ほうかいざん こうしょういん だいにちじ)

宗派
真言宗智山派
本尊
大日如来
開基
行基菩薩
創建
天平年間(729〜749)
真言
おん ばざら だどばん(金剛界)

アクセス情報

所在地
〒781-5222 高知県香南市野市町母代寺476
電話
0887-56-0638
駐車場
普通/30台・マイクロバス/10台(無料)
宿坊
なし
公式HP
http://dainichiji28.org/

南国インターチェンジから、国道32号線・県道45号線を南国方面へ。後免町交差点を左折し県道364号線を野市町方面へ向います。龍河洞方面へ向う表示に従い交差点を左折。バス停大日寺前を右折し山道を登ると正面にあります。
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竹林山 地蔵院 神峯寺

【御詠歌】
みほとけの恵みの心神峯
山も誓いも髙き水音

石段沿いの景観

石段の両側には、美しく整備された日本庭園が四季折々の花を咲かせる。梅の季節にはウグイスの風流なさえずりを楽しめる。※画像1

石清水

鐘楼の裏手に湧く石清水。病気平癒に霊験あらたかであるという伝えがあり、お遍路さんの喉を潤す。※画像2

神峯寺の歴史・由来

神峯山中腹の標高450メートルに山門、境内が広がる。
幕末のころ、三菱財閥を築いた岩崎弥太郎の母が、息子の出世を祈願し往復20kmの道のりを21日間日参したという話は、いまも伝わっている。
縁起による歴史の古さは屈指で、神功皇后(在位201〜69)の世に勅命で天照大神などを祀る神社が起源とされる。聖武天皇(在位724〜49)の勅をうけた行基菩薩が天平2年に十一面観音像を彫造して本尊とし、神仏合祀を行った。その後、弘法大師が伽藍を建立し、「観音堂」と名付けたのが大同4年(809)のころとされている。

明治初期、新政府の神仏分離令により、天照大神などを祀る神峯神社だけが残り、本尊は二十六番金剛頂寺に預けて一時廃寺の悲運に遭った。明治中期に、もと僧坊の跡に堂舎を建立して本尊を帰還させ、霊場は復活した。だが寺格がないため、大正元年、茨城県稲敷郡朝日村の地蔵院を移して認可を得るなど、苦難の道を歩んで今日にいたっている。
昭和30年代、愛知県の水谷繁治さんの妻しづさんが「脊髄カリエス」で大学病院にも見放されたが、夫婦はこの峰で霊験を得て奇跡的に全治したという実例がある。

神峯寺の見どころ

石段沿いの景観・石清水

神峯寺の年中行事

初会式観音護摩法要
日時:1月18日
大祭観音護摩法要
日時:8月9日

第27番札所 竹林山 地蔵院 神峯寺
(ちくりんざん じぞういん こうのみねじ)

宗派
真言宗豊山派
本尊
十一面観世音菩薩(伝行基作)
開基
弘法大師
創建
天平2年(730)
真言
おん まか きゃろにきゃ そわか

アクセス情報

所在地
〒781-6422 高知県安芸郡安田町唐浜2594
電話
0887-38-5495
駐車場
普通30台(時間は自由/有料)
宿坊
なし
公式HP
なし
公式SNS
instagram

南国インターチェンジから、室戸を方面へ国道32号線・国道55号線と走り、安田町唐浜駅標識を左折。道なりに広域農道を走った後左折、約1.5km道なりに走ると正面にあります。
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龍頭山 光明院 金剛頂寺

【御詠歌】
往生に望みをかくる極楽は
月のかたむく西寺の空

霊宝殿

収蔵する木造阿弥陀如来坐像、板彫真言八祖像、銅造観音菩薩立像、金銅密教法具、金銅旅壇具、銅鐘、金剛頂経などはすべて国指定重要文化財。※画像1

知光上人御廟

当山二代・智光上人は弘法大師伝によると、世に隠れたる聖人二人であり、一人は大和の室生寺堅恵大徳、一人は土佐金剛頂寺の智光上人とあり、堅恵は智恵第一の人、智光は行力第一のの聖人と讃えられています。上人はかつて大師禅定の西寺根本樹下の法窟に籠もり、一生山を出ずして精進修行し、大師が承和2年3月21日高野山に御入定と知るや、御後を慕いて、同年4月21日この地に大師と同様、寂然として入定留身し給うと伝えています。※画像2

金剛頂寺の歴史・由来

室戸岬から海岸沿いに西北に向かうと、土佐湾につき出した小さな岬がある。硯が産出するので硯が浦ともいわれる「行当岬」である。その岬の頂上、原始林の椎に覆われて静寂さがただよう境内が金剛頂寺であり、室戸三山の一寺院として「西寺」の通称でも親しまれている。朱印も「西寺」と捺される。当寺から4㎞のところに女人堂と呼ばれる不動堂がある。若き弘法大師はこの間を毎日行き来し修行した霊地であり、行道したことから、「行当」はその名残かもしれない。縁起によると、大師が平城天皇(在位806〜9)の勅願により、本尊の薬師如来像を彫造して寺を創建したのは大同2年と伝えられている。創建のころは「金剛定寺」といわれ、女人禁制とされて、婦女子は行当岬の不動堂から遙拝していたという。

次の嵯峨天皇(在位809〜23)が「金剛頂寺」とした勅額を奉納されたことから、現在の寺名に改め、さらに次の淳和天皇(在位823〜33)も勅願所として尊信し、住職は第十世まで勅命によって選ばれており、以後、16世のころまで全盛を誇った。
室町時代に堂宇を罹災したこともあったが復興ははやく、長宗我部元親の寺領寄進や、江戸時代には土佐藩主の祈願所として諸堂が整備されている。昭和になって注目されるのは正倉院様式の宝物殿「霊宝殿」の建立である。平安時代に大師が各地を旅したときの「金銅旅壇具」は、わが国唯一の遺品であり、重要文化財が数多く収蔵されている。

金剛頂寺の見どころ

霊宝殿・奴草・鯨供養塔(鯨の供養塔。別名「クジラ寺」)・一粒万倍の釜(大師が炊いた米が一万倍に増え、人々を飢えから救ったという釜)

金剛頂寺の年中行事

弘法大師像ご開帳
日時:1月第2日曜日(予定)
場所:大師堂
本尊薬師如来像ご開帳
日時:12月31日〜1月8日
場所:本堂

第26番札所 龍頭山 光明院 金剛頂寺
(りゅうずざん こうみょういん こんごうちょうじ)

宗派
真言宗豊山派
本尊
薬師如来
開基
弘法大師
創建
大同2年(807)
真言
おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

アクセス情報

所在地
〒781-7108 高知県室戸市元乙523
電話
0887-23-0026
駐車場
普通20台/200円・マイクロバス3台/400円・大型3台/1,000円(各午前7時〜午後5時)
宿坊
あり(100人)
公式HP
なし

南国インターチェンジから、室戸を目指す方向で国道32号線・国道55号線と走り、室戸市のバス停元橋のところで左折、道なりに約2km走ると右手にあります。
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宝珠山 真言院 津照寺

【御詠歌】
法の舟
入るか出づるかこの津寺
迷ふ我身をのせてたまへや

境内

本堂は参道正面の小高い山の上に鎮座しております、朱門をくぐり右へ入ると大師堂、納経所、檀信徒会館があります。本堂に向う石段は真直ぐと天に続くかのような趣、かなりの急勾配で皆、真ん中の手摺りを利用して上がります、そして石段の途中には竜宮城を思わせるような鐘楼門兼仁王門。石段を昇りつめた所、本堂の正面には太平洋が広がります、眼下には室津川の河口と室津港、右の方には行当岬と深緑の隙間に26番金剛頂寺が見えます。※画像1

境内周辺の見所

参道の左に一木権兵衛ゆかりの「お釜岩」が有り参道途中から左に入ると室津の港を、命を賭して改修した一木権兵衛が奉られる一木神社があります。※画像2

津照寺の歴史・由来

室津港を見下ろす小山の上にたたずむ「津照寺」(しんしょうじ)は、通称「津寺」(つでら)と呼ばれています。弘法大師空海上人が四国御修行の砌、山の形が地蔵菩薩の持つ宝珠(ほうしゅ)に似ているところから霊地とし地蔵菩薩を自ら刻まれ本尊とし、宝珠山真言院津照寺と号されました。
はじめ長曽我部氏の庇護をうけ津寺村と称して七町余の地高を有しその後、山内氏が国主として入国してより更に一町五反余の田地を寄附され寺院の運営も全て藩営とされ中老格をもって遇され隆盛を極めておりましたが、明治の改革に遭い地領は一旦政府に没収亦は小作農民に払い下げとなり寺は廃寺とされました。
荒廃にまかすこと約十数年明治十六年ようやく寺名復興を許され今日に至ったのでありますが寺域は極度に狭められ昔日のおもかげはなく、只本堂が地蔵堂としてのこり御殿と申された庫裏の一角が当時小学校として残っておりました。現在、小学校は移転され、大師堂は昭和38年、本堂は昭和50年に新築されたものです。

【楫取地蔵の由来】御本尊延命地蔵を楫取地蔵(かじとりじぞう)という由来を申しますと、慶長七年秋の頃山内家初代一豊公が室戸の沖で暴風雨に遭い困難いたされた時、何処からともなく大僧が現れ船の楫を取って御船は無事室津の港に入港する事が出来た。ほっとした所で先程の大僧の姿が見えないがともあれ探して津寺へ参詣してみると本尊地蔵菩薩の御体が濡れており、大僧が本尊地蔵菩薩であった事がわかった、之より本尊が楫取地蔵と申し伝えられるようになりました。この霊験記は、旧記南路史に明記されて居ります。
また今昔物語には「地蔵菩薩火難ニ値ヒ自ラ堂ヲ出ルヲ語ル」第六として津寺の本堂が火難に遭った時、本尊地蔵菩薩が僧に身を変えて村人に知らせ、火難を逃れたという物語が出ており古くは火事取りの意味でも、かじとりじぞうと呼ばれております。

津照寺の見どころ

境内・境内周辺の見所・本堂前より行当岬・室戸スカイライン・太平洋が望めます。

第25番札所 宝珠山 真言院 津照寺
(ほうしゅざん しんごんいん しんしょうじ)

宗派
真言宗豊山派
本尊
地蔵菩薩(楫取地蔵)
開基
弘法大師
創建
大同2年(807)
真言
おん かかかび さんまえい そわか

アクセス情報

所在地
〒781-7102 高知県室戸市室津2652-イ
電話
0887-23-0025
駐車場
港の広場を使用させていただいている。車は境内には入れない。無料
宿坊
なし
公式HP
なし

南国インターチェンジから、室戸を目指す方向で国道32号線・国道55号線と走り、室戸市浮津の高知信用金庫ATMがある左カーブの手前を右折、約100m走り町の案内板の前を左折、約400m道なりに走ると左手にあります。

※市道室津浮津線に架かる両栄橋の架替工事に伴い車両通行止めになっております。
通行制限期間:平成31年3月末まで(予定)
通行制限種別:車両通行止め(歩行者通行可)

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室戸山 明星院 最御崎寺

【御詠歌】
明星の出でぬる方の東寺
くらき迷いはなどかあらまし

国指定重要文化財

石造如意輪観音半跏像(画像1)が有名。ほかに木造薬師如来坐像、木造月光菩薩立像、三足の「漆塗盤」。いずれも宝物館。※画像1

御厨人窟(みくろど)

大師が虚空蔵求聞持法の苦行をしたと伝えられる洞窟。※画像2

最御崎寺の歴史・由来

「修行の道場」とされる土佐最初の霊場。太平洋の白い波涛が吠えたてる室戸岬の突端にある。黒潮のしぶきにあらわれて鋭角になった黒い岩礁。そのすさまじい響き、空と海が一体となり襲いかかる洞窟の樹下で、藤衣を被って風雨を凌ぎ、虚空蔵求聞持法の修法に励む青年・空海がいた。延暦11年(792)、弘法大師19歳のころとされている。この詳細は、大師が24歳のときの撰述『三教指帰』に次のように記されている。
「…土州室戸崎に勤念す 谷響きを惜しまず 明星来影す 心に感ずるときは明星口に入り 虚空蔵光明照らし来たりて 菩薩の威を顕し 仏法の無二を現す…」

大同2年、唐から帰朝した翌年に大師は、勅命をうけてふたたび室戸岬を訪ねている。虚空蔵求聞持法を成就したこの地に、本尊とする虚空蔵菩薩像を彫造して本堂を建立、創した。嵯峨天皇をはじめ歴代天皇の尊信が厚く、また、足利幕府の時代には土佐の安国寺となり、戦国・江戸時代には武将、藩主などの寄進により、寺運は隆盛した。
当時は、真言密教の道場とされ女人禁制の寺であった。往時、女性の遍路は遙か室戸岬の先端から拝んだといわれるが、明治5年に解禁されている。室戸岬では東西に対峙している二十六番・金剛頂寺が「西寺」と呼ばれ、最御崎寺は「東寺」とも呼ばれており、納経帳等の寺名には東寺と記されている。南国情緒を味わう室戸阿南国定公園の中心にあり、大師が悟りの起源の地でもある。

最御崎寺の見どころ

国指定重要文化財・御厨人窟(みくろど)・明星石(大師が修行中に、星のように光を放ち、毒龍の妨げを防いだという伝説の石。海岸で斑レイ岩として見かけることができる。)

最御崎寺の年中行事

  • 初祭り・・・1月13日

第24番札所 室戸山 明星院 最御崎寺
(むろとざん みょうじょういん ほつみさきじ)

宗派
真言宗豊山派
本尊
虚空蔵菩薩
開基
弘法大師
創建
大同2年(807)
真言
のうぼう あきゃしゃ きゃらばや おん ありきや まりぼり そわか

アクセス情報

所在地
〒781-7101 高知県室戸市室戸岬町4058-1
電話
0887-23-0024
駐車場
普通37台/無料・マイクロバス9台/300円(午前7時〜午後5時)
宿坊
あり(100人)
公式HP
なし

南国インターチェンジから、室戸を目指す方向で国道32号線・国道55号線と走り、室戸スカイラインへ左折。そのまま9km道なりに走ると、正面に駐車場があります。
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医王山 無量寿院 薬王寺

【御詠歌】
皆人の病みぬる年の薬王寺
瑠璃の薬をあたえましませ

瑜祇塔(ゆぎとう)

高さ29メートルの楼閣。上方が四角、下方が円筒形で一重の塔。天と地の和合を説く『瑜祇経』の教えに基づき、屋根に五柱の相輪が立つ。※画像1

厄坂の賽銭

お賽銭をあげながらお参りすると、身に降りかかる厄難が落ちるという。※画像2

薬王寺の歴史・由来

「発心の道場」といわれる阿波最後の霊場。高野山真言宗の別格本山でもある。厄除けの寺院としては全国的に有名で、「やくよけばし」を渡って本堂に向かう最初の石段は、「女厄坂」といわれる33段、続く急勾配の石段「男厄坂」が42段で、さらに本堂から「瑜祇塔」までは男女の「還暦厄坂」と呼ばれる61段からなっている。各石段の下には『薬師本願経』の経文が書かれた小石が埋め込まれており、参拝者は1段ごとにお賽銭をあげながら登る光景が見られる。縁起によると、聖武天皇(在位724〜49)の勅願によって行基菩薩が開創したとされている。弘仁6年(815)弘法大師が42歳のとき自分と衆生の厄除けを祈願して一刀三礼し、厄除薬師如来坐像を彫造して本尊とされ、厄除けの根本祈願寺とした。大師は、この厄除け本尊の功徳を平城天皇、嵯峨天皇、淳和天皇の3代に相次いで奏上したところ、各天皇は厚く帰依し、厄除けの勅使を下して官寺とされている。

文治四年(1188)、火災で諸堂を焼失しているが、このとき厄除け本尊は、光を放ちながら飛び去り、奥の院・玉厨子山に自ら避難した。のちに後嵯峨天皇が伽藍を再建して新しい薬師如来像を開眼供養すると、避難していた本尊が再び光を放って戻り、後ろ向きに厨子に入られたと伝えられる。以来、「後ろ向き薬師」として秘仏にされている。境内には吉川英治著『鳴門秘帖』、司馬遼太郎著『空海の風景』に登場した石碑がある。

薬王寺の見どころ

瑜祇塔(ゆぎとう)・厄坂の賽銭・肺大師(本堂左手にあり、ラジウムを含んだ霊水で、肺病などの諸病に効くという云われがある。)

薬王寺の年中行事

  • 新春初祈祷・・・1月1日〜3日
  • 節分星供・・・2月3日
  • 厄除け初会式・・・2月11日〜12日
  • 涅槃会・・・2月15日
  • 釈尊花祭・・・4月8日
  • 正御影供・・・4月21日
  • 夏会式・・・旧暦:5月晦日
  • 弘法大師降誕会・・・6月15日
  • 盂蘭盆会・・・8月13日〜16日
  • 施餓鬼会・・・8月16日
  • 夏会式・・・旧暦:5月晦日
  • 鎮守祭・・・10月15日
  • 厄除年越祭・・・大晦日
  • 本尊月並会・・・毎月12日

第23番札所 医王山 無量寿院 薬王寺
(いおうざん むりょうじゅいん やくおうじ)

宗派
高野山真言宗
本尊
厄除薬師如来(伝弘法大師作)
開基
行基菩薩
創建
神亀3年(726)
真言
おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

アクセス情報

所在地
〒779-2305 徳島県海部郡美波町奥河内字寺前285-1
電話
0884-77-0023
駐車場
普通/350台・マイクロバス、大型/10台 (午前7時〜午後5時・無料)
宿坊
あり(予約専用電話:0884-77-1138
公式HP
https://yakuouji.net/
公式SNS
facebook

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白水山 医王院 平等寺

【御詠歌】
平等にへだてのなきと聞く時は
あらたのもしき仏とぞみる

箱車

本堂には3台の箱車が奉納されております。大正・昭和の時代に医者に見放された足の不自由な人が巡礼を始め、この寺で霊験をさずかって足が治ったため記念として奉納されたものです。この寺は特に健脚に霊験あらたかといわれています。※画像1

本尊薬師如来

「あらゆる人々の心と身体の病を平等に癒し去る」という誓いを立てて弘法大師がお作りになった本尊薬師如来は常時拝観可能です。仏さまのお姿をみながら、ゆっくりとお参りください。※画像2

平等寺の歴史・由来

弘仁5年(814年)、弘法大師がこの地を訪れ禅定に入られたころ、心に薬師如来さまの姿が浮かびました。
お大師さまはそのお薬師さまを想いながら次のような御誓願を立てられます。

「あらゆる人々の心と身体の病を平等に癒し去る」

大師はこの地での修行を志し加持水を求めて井戸を掘られたところ、乳のごとき白い水が湧き溢れました。その霊水で御を清められた大師は百日間護摩行を続けた後に先のお薬師さまの姿を木に刻まれ本尊として奉安し、山号を白き水が湧いたことから白水山(はくすいざん)、寺号を平等寺と定められました。
以後、寺は大規模に栄えましたが江戸初期頃までに一度興廃し、1680年に伊予から来た中興一世照俊阿闍梨らによって再興され、現在に至っています。現存する本堂が再建されたのは1737年、大師堂は1824年建立です。
大師が掘られた霊水の湧く井戸は男厄除坂の左下にあり、どんな日照りにも枯れることなくこんこんと湧き出ております。現在は無色透明で飲用に適し、万病に効く「弘法の霊水」として全国に知られています。
(詳細は平等寺のホームページを参照)

平等寺の見どころ

本尊薬師如来像・箱車・天井絵

平等寺の年中行事

新春初護摩祈祷
日時:1月1日(0:00・10:00・15:00)・1月2日(10:00・15:00)・1月3日(10:00・15:00)
本尊初会式
日時:1月下旬(10:00)
星まつり(立春節分までの一週間)
日時:1月28日から2月4日
春彼岸会(御影供)
日時:3月21日(10:00)
花まつり(甘茶・ぼた餅の接待あり)
日時:4月8日
スイカ割り
日時:8月14日(15:00)
星まつり(冬至からの一週間)
日時:12月22日から12月28日
薬師増益護摩
毎月:8日(15:00)
十一面息災護摩
毎月:18日(15:00)
不動息災護摩
毎月:28日(15:00)
サンデーサービス(法会とお接待ランチ)
毎月:第二日曜日(11:00)
阿字観指導と茶話会
毎月:第一土曜日・第一月曜日(11:00)

第22番札所 白水山 医王院 平等寺
(はくすいざん いおういん びょうどうじ)

宗派
高野山真言宗
本尊
薬師如来
開基
弘法大師
創建
弘仁5年(814)
真言
おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

アクセス情報

所在地
〒779-1510 徳島県阿南市新野町秋山177番地
電話
0884-36-3522
駐車場
普通車/30台・マイクロバス、大型/5台 (午前7時〜午後5時・無料)
宿坊
(予約・詳細はこちら)
公式HP
https://www.byodoji.jp/
公式SNS
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21番太龍寺ロープウェイ乗り場まで車で20分
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舎心山 常住院 太龍寺

【御詠歌】
太龍の常にすむぞやげに岩屋
舎心聞持は守護のためなり

舎心嶽

海境内から徒歩十五分ぐらい。岩の上にブロンズ製の「求聞持修行大師像」が東向きに坐っている。舎心は「心がとどまる」の意で、大師の気迫を感じさせる。※画像1

ロープウエー

全長2,775メートルで西日本最長。101人乗り、所要時間約10分。※画像2

太龍寺の歴史・由来

「西の高野」とも称される。四国山脈の東南端、標高618メートルの太龍寺山の山頂近くにある。樹齢数百年余の老杉の並木が天空にそびえ、境内には古刹の霊気が漂う。弘法大師が19歳のころ、この深奥の境内から南西約600メートルの「舎心嶽」という岩上で、100日間の虚空蔵求聞持法を修行されたという伝えは、大師が24歳のときの著作『三教指帰』に記されており、よく知られている。虚空蔵求聞持法は、真言を百万遍となえる最も難行とされる修法で、大師青年期の思想形成に大きな影響を及ぼしている。縁起によると延暦12年、桓武天皇(在位781〜86)の勅願により堂塔が建立され、弘法大師が本尊の虚空蔵菩薩像をはじめ諸尊を造像して安置し、開創した。山号は修行地の舎心嶽から、また寺名は修行中の大師を守護した大龍(龍神)にちなんでいる。

皇室や武家の尊信が厚く、平安時代の後期には子院12ヶ寺をもつほどに栄えていた。だが、「天正(1573〜92)の兵火」からは逃れられなかった。また、江戸時代になっても幾たびか罹災し、荒廃の途を余儀なくされているが、その都度ときの藩主の保護をうけ再建されている。仁王門は鎌倉時代の建立で、他の堂塔は江戸時代以降に復興している。四国巡礼者にとって、屈指の難所であったこの山岳寺院にロープウエーが開通したのは平成4年である。徒歩では、中腹の駐車場から坂道を登るのに30分も要していた。1,200年のむかし、大師の修行時代をしのばせる迫力、風格をそなえた古刹である。

太龍寺の見どころ

舎心嶽・ロープウェイ・丁石(南北朝時代のもの。18基残っているうち、11基が徳島県文化財指定。)

太龍寺の年中行事

  • 本尊初会式・・・1月12日
  • 弘法大師正御影供・・・旧暦3月21日

第21番札所 舎心山 常住院 太龍寺
(しゃしんざん じょうしゅういん たいりゅうじ)

宗派
高野山真言宗
本尊
虚空蔵菩薩
開基
弘法大師
創建
延暦12年(793)
真言
のうぼう あきゃしゃ きゃらばや おん ありきゃ まりぼり そわか

アクセス情報

所在地
〒771-5173 徳島県阿南市加茂町龍山2
電話
0884-62-2021
駐車場
太龍寺ロープウェイ駐車場 普通/150台・マイクロバス、大型/各10台 各終日・無料
宿坊
なし
公式HP
なし

JR桑野駅前から国道195号線を西へ。右手に喫茶店(カントリーロード)を見て、次の信号を右折すれば太龍寺ロープウェイ乗り場に着きます。
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霊鷲山 宝珠院 鶴林寺

【御詠歌】
しげりつる鶴の林をしるべにて
大師ぞいます地蔵帝釈

三重塔

海抜470mの山容を三段に亘って伽藍が配置されている。その中央段の東側に老大樹に囲まれて三重塔の尖端が天空にのびている。
江戸時代後期、文化14年(1817)着工、文政10年(1827)上棟。本塔の特徴は勾欄にある。初重は「擬宝珠」、二重「はね」三重に「逆蓮柱」を用いて固めている。此の塔の落慶儀式に庭儀曼荼羅供の大法会が執り行なわれたが往時の儀式用具も完備し設計図面も現存。徳島県下唯一の三重塔として昭和27年県指定重要文化財となる。※画像1

遍路道

山裾より急坂で幽寂な遍路を約4km、1時間半ほど登れば山門に辿りつく。此の遍路道には21箇所の石柱が建っていて、お遍路さんの苦楽の指標となっている。此の標石柱を「丁石」(ちょういし)と呼称し、当寺の本堂を起奌に一丁石から十一丁石までの花崗岩方柱に貞治2年(1362)、応安、永和、明徳の元号が刻入されている。敷石道を歩みながら室町時代の大師信仰者の念いに誘われる。
此の参道の保全のために20年に及ぶ檀家ボランティア活動が評価され平成10年国史跡に指定される。※画像2

鶴林寺の歴史・由来

標高470メートルの鷲が尾の山頂にあり、遠く紀州や淡路の山峰、遙かに太平洋を眺望できる風光明媚な霊山が境内である。樹齢千年を超すような老杉、檜や松の巨木が参道を覆っており、寺門は静謐ながら隆盛の面影をしのばせる。寺伝によると延暦17年、桓武天皇(在位781・806)の勅願により、弘法大師によって開創された。大師がこの山で修行していたとき、雌雄2羽の白鶴がかわるがわる翼をひろげて老杉のこずえに舞い降り、小さな黄金のお地蔵さんを守護していた。この情景を見て歓喜した大師は、近くにあった霊木で高さ90センチほどの地蔵菩薩像を彫造、その胎内に5.5センチぐらいの黄金の地蔵さんを納めて本尊とし、寺名を鶴林寺にしたといわれる。

また、境内の山容がインドで釈尊が説法をしたと伝えられる霊鷲山に似ていることから、山号は「霊鷲山」と定められた。以来、次の平城天皇、嵯峨天皇、淳和天皇と歴代天皇の帰依が篤く、また源頼朝や義経、三好長治、蜂須賀家政などの武将にも深く信仰されて、七堂伽藍の修築や寺領の寄進をうけるなど寺運は大きく栄えた。阿波一帯の寺が兵火に遭遇した「天正(1573・92)の兵火」にも、山頂の難所にあるためか難を免れている。「お鶴」「お鶴さん」などと親しまれ、山鳥が舞う大自然そのままの寺である。

鶴林寺の見どころ

波切り地蔵・地蔵菩薩立像・鶴林寺の室町時代の年号を刻んだ丁石が、本堂から遍路道沿いに11基残っている。1丁は約109メートル。徳島県最古の丁石。三重塔(県指定重要文化財)

第20番札所 霊鷲山 宝珠院 鶴林寺
(りゅうじゅざん ほうじゅいん かくりんじ)

宗派
高野山真言宗
本尊
地蔵菩薩(伝弘法大師作)
開基
弘法大師
創建
延暦17年(798)
真言
おん かかかび さんまえい そわか

アクセス情報

所在地
〒771-4303 徳島県勝浦郡勝浦町生名鷲ヶ尾14
電話
0885-42-3020
駐車場
あり・志納金制
宿坊
なし
公式HP
なし

JR徳島駅前から国道55号線を南へ。江田町交差点を右折して県道16号線を勝浦川沿いに走ります。大イチョウの木が見えたら、標識に従って左折します。
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橋池山 摩尼院 立江寺

【御詠歌】
いつかさて西のすまいのわが立江
弘誓の舟に乗りていたらむ

肉付き鐘の緒の黒髪堂

大師堂右手にある小祠。不義をしたお京という女がこの寺に詣り懺悔すると、お京の髪の毛が逆立ち、鐘の緒に巻き上げられて残ったという伝説のお堂。※画像1

白鷺橋

寺の手前。行基菩薩が白鷺に暗示をうけたと伝えられる橋。※画像2

立江寺の歴史・由来

高野山真言宗の別格本山。「四国の総関所」として四国八十八ヶ所の根本道場といわれ、また「阿波の関所」としても知られる。縁起によると、聖武天皇(在位724〜49)の勅願で行基菩薩によって創建された。勅命により行基菩薩が光明皇后の安産を祈るため、念持仏として5.5センチほどの小さな黄金の「子安の地蔵さん」を彫造した。これを「延命地蔵菩薩」と名づけて本尊にし、堂塔を建立したと伝えられる。弘仁6年(815)、弘法大師が当寺を訪れ、このご本尊を拝した。大師は、あまりに小さなご本尊なので、後世になって失われる恐れがあると、自ら一刀三礼をして新たに像高1.9メートルもある大きな延命地蔵像を彫造され、その胎内に行基菩薩が彫ったご本尊を納められた。このときに寺名を「立江寺」と号した。当時は現在地より西へ400メートルほど山寄りの景勝地にあって、七堂伽藍を備えた巨刹であったといわれる。

「天正の兵火」(1575〜85)では立江寺も逃れられず、壊滅的な打撃を受けた。だが本尊だけは奇しくも難を免れている。のち、阿波初代藩主・蜂須賀家政公の篤い帰依をうけ、現在の地に移って再建された。また、昭和49年の祝融の災にもご本尊は救い出されている。昭和52年に再建された本堂の格天井画(286枚)は、東京芸術大学の教授等により花鳥風月などが描かれており、観音堂の絵天井とともに昭和の日本画を代表する文化財であると高く評価されている。寺伝の「釈迦三尊図」は、国の重要文化財指定品である。 邪悪な心を裁く関所寺の半面、「子安の地蔵尊」「立江の地蔵さん」と親しまれている。

立江寺の見どころ

肉付き鐘の緒の黒髪堂・白鷺橋・本堂・観音堂の絵天井

立江寺の年中行事

大晦日、初詣
日時:元旦〜3日
厄除け、開運、星祭祈祷会
日時:節分
初会式・大植木市
日時:2月23日〜25日
夏会式、施餓鬼会
日時:7月24日
先祖供養、水子供養、流水潅頂
日時:11月23日
護摩大祈祷会
日時:毎週 土曜日 13時
ヨガ教室
日時:毎週 月曜日 木曜日 14:00~15:00

第19番札所 橋池山 摩尼院 立江寺
(きょうちざん まにいん たつえじ)

宗派
高野山真言宗
本尊
延命地蔵菩薩
開基
行基菩薩
創建
天平19年(747)
真言
おん かかかび さんまえい そわか

アクセス情報

所在地
〒773-0017 徳島県小松島市立江町字若松13番地
電話
0885-37-1019(代表)
駐車場
普通/30台(300円)・マイクロバス/5台(1000円)・大型/6台(1000円)
宿坊
あり(200人)
公式HP
http://www.tatsueji.com/

JR南小松島から西へ進み日開野町交差点で左折して国道55号線を南へ。標識に従って右折し、道案内に従って進みます。
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