普明山 真光院 熊谷寺

【御詠歌】
薪とり水くま谷の寺にきて
難行するも後の世のため

大師堂

本堂左手36段の石段をのぼったところ。宝永4年(1707)の建立で、県指定文化財。

多宝塔

安永3年(1774)建立。内部には胎蔵界の大日如来像を中心に、四方に如来像を安置している。

熊谷寺の歴史・由来

四国霊場のなかで最大級の仁王門を構える。縁起によると弘仁6年、弘法大師がこの地の閼於ヶ谷で修行をされていた。その折、紀州の熊野権現があらわれ「末世の衆生を永く済度せよ」と告げられ、5.5センチほどの金の観世音菩薩像を授け、虚空はるかに去っていったという。大師はその場にお堂を建てて、霊木に自ら一刀三礼して等身大の千手観音像を彫造し、その胎内に金の尊像を納めて本尊にされた、と伝えられている。境内にその鎮守堂があり、熊野権現が祀られている。元禄2年(1689)の寂本著『四國禮霊場記』には、「境内は清幽で、谷が深く、水は涼しく、南海が一望できる。千手観音像の髪の中には126粒の仏舎利が納められてある」とあり、当時の境内の様子がうかがえる。

元禄のころ(1688〜1704)までに幾度か火災にあった説もある。ただ、昭和2年(1927)の火災では本堂とともに弘法大師作のご本尊も焼失している。その後、歴代住職の尽力により本堂は昭和15年に再建されたが、第二次大戦で工事が中断、ようやく同46年に堂宇の全容が完成、新造された本尊の開眼法要が営まれた。前述の仁王門は、貞享4年(1687)の建立で、徳島県の指定文化財である。和様と唐様の折衷様式で、間口は9メートル、高さは12.3メートル。2層目の天井や柱には極彩色(ごくさいしき)の天女の姿などが描かれている。大師堂に安置されている弘法大師坐像は室町時代の作で、県指定の文化財である。

熊谷寺の見どころ

大師堂・多宝塔・弁天島(納経所横にあり、太鼓橋のかかった安産の祈願所。)

熊谷寺の年中行事

本尊御開帳
日時:毎月18日

第8番札所 普明山 真光院 熊谷寺
(ふみょうざん しんこういん くまだにじ)

宗派
高野山真言宗
本尊
千手観世音菩薩
開基
弘法大師
創建
弘仁6年(815)
真言
おん ばざらたらま きりく

アクセス情報

所在地
〒771-1506 徳島県阿波市土成町土成字前田185
電話
088-695-2065
駐車場
普通20台・マイクロバス・大型6台 他に臨時駐車場三ヵ所ある 50台可 志納金制
宿坊
なし
公式HP
なし

土成インターチェンジから、県道139号線を市場町方面へ進むと寺行きの看板があるので看板に沿って行くとたどり着きます。
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光明山 蓮華院 十楽寺

【御詠歌】
人間の八苦を早く離れなば
到らん方は九品十楽

愛染明王

煩悩(愛欲や欲望)を悟りに変えて、菩提心(悟りの境地)まで導いてくれる力を持つ仏様。息災、増益、敬愛、降伏の四つの利益があり、降魔や除災、男女の縁結びに多いに効果があらわれるとされています。※画像1

治眼疾目救歳地蔵尊

大師堂階段手前の横。古くから眼病平癒の地蔵尊として知られる。

十楽寺の歴史・由来

寺は現在地から北3キロほど奥の十楽寺谷の堂ヶ原にあったと推定される。大同年間に弘法大師がこの地を巡教して逗留されたときに阿弥陀如来を感得し、如来像を刻んだのが本尊として祀られたと伝えられている。その際に、大師は生・老・病・死など人間として避けることのできない苦難に、10の光明と、輝く楽しみが得られるようにと「光明山十楽寺」の寺名を授けたといわれる。
創建からしばらくは、阿波の北方きっての広大な七堂伽藍を誇っていたが、天正10年(1528)長宗我部元親による兵火で、すべての堂塔が焼失した。幸い、本尊は時の住職が背負い難を免れたという。寛永12年(1635)に現在の地に移り、再建された。

さらに平成6年には立派な木造の本堂を建立。本堂左前にある「治眼疾目救歳地蔵尊」は、古くから眼病、失明した人たちの治療に霊験があるとされ、眼病に悩むお遍路さんの参詣が多い。また、中門遍照殿では、良縁を結び、悪縁を切る両方の願いを兼ね備えた、愛染明王が祀られており、ご祈願に訪れる人が絶えない。

十楽寺の見どころ

    山門・水子地蔵(山門を入るとすぐ正面にある。)・治眼疾目救歳地蔵尊・愛染明王

第7番札所 光明山 蓮華院 十楽寺
(こうみょうざん れんげいん じゅうらくじ)

宗派
真言宗単立
本尊
阿弥陀如来(伝弘法大師作)
開基
弘法大師
創建
大同年間(806〜810)
真言
おん あみりた ていせいから うん

アクセス情報

所在地
〒771-1509 徳島県阿波市土成町高尾字法教田58
電話
088-695-2150
駐車場
普通20台・大型5台 午前7時〜午後5時まで
宿坊
あり(70人・個室)
公式HP
http://jyuurakuji.com/

土成インターチェンジから、高速道路に沿った道を板野方面に進むと、左手にあります。
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温泉山 瑠璃光院 安楽寺

【御詠歌】
かりの世に知行争うむやくなり
安楽国の守護をのぞめよ

多宝塔

内部は極彩色の仏画や彫刻で浄土を表現している。周囲では八十八ヶ所のお砂踏ができる。

西国三十三観音像

大師堂には、弘法大師42才(男性の大厄)の時に猟師の弓矢から大師を守ったと伝わる、大師お手植えの厄除けの「さかまつ」がある。

安楽寺の歴史・由来

『四國禮霊場記』(元禄2年=1689)には「医王の神化を人みな仰ぎ寺院繁栄に至り、十二宇門甍を接し鈴鐘のひびき絶える時なし…」と記され、その昔は阿讃の山麓から現在地まで寺域が点在し、戦国時代の兵火や明治維新の神仏分離令を経て現在に至っている。
ここ引野村には古くから温泉があり、安楽寺は弘法大師によって温泉湯治の利益が伝えられた旧跡で、山号は温泉山とされた。(現在も大師堂前から温泉が湧き出ている。)桃山時代に阿波藩祖・蜂須賀家政公が「駅路寺」と定め、四国遍路や旅人の宿泊、茶湯接待の施設を置いた。その記録である「駅路寺文書」(慶長3年=1598)が今も残されており、宿坊は以来400年の歴史を有する。藩政時代は山門に蜂須賀家の家紋が入った雪洞が許され、寺域は殺生禁断とされた。茅葺き屋根の方丈は、250年前に蜂須賀公により寄進され、質素ながら堂々とした木造建築である。

愛知県尾西市の水谷しづさん(当時49歳)は、脊髄カリエスの難病にかかり床についていた。当寺の住職は、夫の繁治氏に病床で苦しむしづさんを伴い、四国遍路をすすめた。二人は遍路の旅を決行した。ところが不思議にも巡礼の途中に、しづさんの難病が快癒した。現在の本尊・薬師如来像は、その報恩のために奉納されたもので、43センチほどの古来の本尊は胎内仏として納められている。昭和37年のことである。安楽寺には、運慶・快慶の流れをくむ慶派の京都大仏師・松本明慶師(1945〜)が無名時代から彫り続けた仏像六十体が各御堂に祀られている。大師堂の弘法大師像はじめ、愛染明王、不動明王などである。また、性霊殿には胎蔵曼荼羅・金剛界曼荼羅がかけられ、石の壁には「五筆和尚」と称された弘法大師のさまざまな筆法の書が刻まれている。

安楽寺の見どころ

山門の仁王像は京都大仏師・松本明慶師の作・本堂前の拝殿には弘法大師の一代記が彫刻されている・多宝塔・さかまつ・宿坊(400年の歴史を持つ宿坊(宿泊施設)には、温泉山の名にふさわしい、天然温泉の大浴場があり、お遍路さんに好評。)

安楽寺の年中行事

結縁灌頂(仏様とご縁を結ぶ儀式:◎要予約)
日時:1月第2日曜日(予定)
教学講習会(弘法大師の教え・仏教の教えを学ぶ勉強会:◎要予約)
日時:1月後半(4泊5日)
大祭(盆踊り施餓鬼供養)
日時:8月20日
星祭り護摩供養
日時:12月31日〜2月3日

第6番札所 温泉山 瑠璃光院 安楽寺
(おんせんざん るりこういん あんらくじ)

宗派
高野山真言宗
本尊
薬師如来(伝弘法大師作)
開基
弘法大師
創建
弘仁6年(815)
真言
おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

アクセス情報

所在地
〒771-1311 徳島県板野郡上板町引野字寺ノ西北8
電話
088-694-2046
駐車場
普通80台・大型バス10台・無料
宿坊
あり(300人・温泉あり)
公式HP
http://www.shikoku6.or.jp/
公式SNS
instagram
  • 徒歩:地蔵寺-郵便局前-神宅橋-谷川橋-鍛冶屋原駅跡-松島神社-竹重橋-安楽寺 1時間10分 4.7km
  • 公共交通機関:地蔵寺から南へ徒歩5分「羅漢」から徳島バス鍛冶屋原行き乗車15分「東原」下車西へ徒歩7分
  • 車:土成インターチェンジ出口を右折、次の信号を右折、県道139号線を東へ3.5km行くと右手にあります

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無尽山 荘厳院 地蔵寺

【御詠歌】
六道の能化の地蔵大菩薩
導き給えこの世後の世

五百羅漢

喜怒哀楽の表情をした等身大の羅漢像が並ぶ。
本堂から徒歩5分、地蔵寺駐車場より車で2分。専用駐車場あり。(拝観料200円)※画像1

水琴窟

山門から入って正面方丈入り口の左側。
澄んだ音色が響く。※画像2

地蔵寺の歴史・由来

嵯峨天皇(在位809〜23)の勅願により、弘仁12年弘法大師が開創された。大師は、自ら約5・5センチの勝軍地蔵菩薩を彫られ、本尊に安置したと伝えられる。その後、淳和天皇(在位823〜33)、仁明天皇(在位833〜50)の3代にわたり天皇家が篤く帰き依えされた。さらに紀州・熊野権現の導師を務めていた浄函上人が霊木に延命地蔵菩薩像を刻み、その胎内に大師作の勝軍地蔵菩薩を納められたとも伝えられている。この勝軍地蔵菩薩の信仰からか、源頼朝、義経をはじめ、蜂須賀家などの武将たちが多くの寄進をしている。これらの寄進により寺領は拡大し、阿波、讃岐、伊予の3ヶ国におよそ300を数える末寺ができ、塔頭も26寺にのぼったと伝えられる。

しかし、天正年間(1573〜92)の長宗我部元親による兵火で、これらの堂塔はことごとく灰燼に帰した。その後、歴代の住職や僧侶、信者たちの尽力により堂宇が整備拡充され、いまでも寺領は40,000平方メートル(12,000坪)にもおよぶ古刹である。本堂左の参道をとおり、石段をのぼったところが奥の院で、ここが羅漢堂である。安永4年(1775)の創建で、五百羅漢堂とされていた。だが、大正4年参拝者の失火で罹災、いまは200ほどの等身大羅漢像がさまざまな喜怒哀楽の表情で並んでいる。境内の大銀杏。樹齢は800年を超え、母なる大木につつまれ歴史が刻まれている。

地蔵寺の見どころ

勝軍地蔵像・淡島堂・水琴窟

地蔵寺の年中行事

大護摩供養
日時:3月第1日曜日

第5番札所 無尽山 荘厳院 地蔵寺
(むじんざん しょうごんいん じそうじ)

宗派
真言宗御室派
本尊
延命地蔵 胎内仏・勝軍地蔵菩薩(伝弘法大師作)
開基
弘法大師
創建
弘仁12年(821)
真言
おん かかかび さんまえい そわか

アクセス情報

所在地
〒779-0114 徳島県板野郡板野町羅漢字林東5
電話
088-672-4111
駐車場
普通50台・マイクロバス20台・大型10台・無料
宿坊
なし
公式HP
なし

藍住インターチェンジから、県道1号線を板野方面へ。次に県道12号線を板野・上板町方面へ。県道34号線と交差する道を右折。
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黒巌山 遍照院 大日寺

【御詠歌】
ながむれば月白妙の夜半なれや
ただ黒谷にすみぞめの袖

鐘桜門

伽藍南側に位置し、欅材を用い二層からなる鐘楼門(弁柄塗布)となっている。屋根は入母屋造り本瓦葺、大棟などには 本山東寺の寺紋が取り付けられている。上層に前山門(文久年/西暦1861年建立)にあった梵鐘を再建時に移築された。
(西暦2018年新再建)※画像1

西国三十三観音像

西国三十三観音霊場にまつわる御像が安置されている。寛政2年(1790年)前後の時期に当寺周辺に限らず西日本各地の信徒から寄進を受けて建立されている。(平成末期全御像修復)※画像2

大日寺の歴史・由来

徳島と香川県の県境にある阿讃山脈から南流する黒谷川に向かって張り出した標高70m前後の尾根の緩斜面上に南向きに伽藍が配置されている。
弘仁6年(815年)に弘法大師がこの地において大日如来を感得し、一刀三礼をして1寸8分の大日如来像を彫造したことを由来として大日寺と称するようになったと言われる。
元禄2年の『四國遍礼霊場記』(寂本1631-1701)では、かっては立派な堂塔が並んでいたものの、歳月の経過とともに、荒廃していた、と記されている。その後 応永年間(1394-1428)に松法師という人物に夢の託言があって修復がなされたという旨が『阿波史』文化12年(1815年)に記されている。その後、また荒廃したが 徳島の二代目藩主、蜂須賀忠英が慶安2年(1649年)に材木を寄進し、本堂一宇を建立して以来、 天和(1681年)・貞享(1688年)までに再興されている。その後も元禄5年(1692年)に五代目藩主蜂須賀 綱矩が、寛政11年(1799年)に11代目藩主 蜂須賀 治昭 がそれぞれにこれを修復して、今に至っている。また、この地は三方を山に囲まれており、黒谷と呼ばれていることから、地元では「黒谷寺」と呼び習わされることもあった。三号である黒巌山の由来もこのことに因んだものとされる。現在、京都の東寺の末寺としてあるがそれは明治20年以降のこと。それ以前は真言宗御室派に属していた。僧堂(庫裡)の熨斗瓦や入口の透かし欄間に寺紋の十六菊紋が見受けられる。

大日寺の見どころ

木造大日如来坐像御尊体(像高56cm、坐奥32.7cm)

通常は秘仏として護持されている御本尊であり、過去には御厨子が開扉されたことはなかった。
膝裏墨書により応永14年(1407年)に造立されてと想像される。

大日堂(本堂)

建立年代は棟札から慶安2年(1649年)である。修復を示す棟札によれば寛政11年(1799年)。建物の意匠では和様を基調とするが、粽柱、鏡天井などの禅宗様式が混在する折衷様式の建物である。密教本堂の形態をもつものとして貴重であり、蜂須賀家の紋(丸に卍)も中備蟇股(なかぞなえかえるまた)他に見られ格式の高さをうかがい知ることが出来る堂宇といえる。

弘法大師堂

建立年代は、文久3年(1863年)9月大師堂勧化帳作成と寺伝にあり、様式からも江戸時代末期と考えられる。

青面金剛尊像

木造の青面金剛尊像のは厨子に安置され厨子には文化9年(1812年)に丹波国のある人物からの寄進であることが示されている。

弥勒菩薩尊像

江戸時代に光明真言百万遍読誦記念として造立された。

手水舎 「蛤水」

手水舎の砂岩をくりぬいて造られた手水鉢には文政5年(1822年)に奉納されたとある。かっては湧水を引き込んでいたが白濁していたことから「蛤水」と呼ばれていた。

八幡祠

境内内池西側に現存する祠は、寛政12年(1800年)の「四国遍礼名所図会」に描写されているものと同一と考えられている。

第4番札所 黒巌山 遍照院 大日寺
(こくがんざん へんじょういん だいにちじ)

宗派
東寺真言宗
本尊
大日如来(伝弘法大師作)
開基
弘法大師
創建
弘仁6年(815)
真言
おん あびらうんけん ばざらだどばん

大日寺へのアクセス

所在地
〒779-0113 徳島県板野郡板野町黒谷字居内28番地
電話
088-672-1225
駐車場
普通20台・マイクロバス/大型5台 午前7時~午後5時・無料
宿坊
なし
公式HP
なし
公式SNS
facebook

藍住インターチェンジから、県道1号線、県道12号線を板野・上坂町方面へ。県道34号線と交差する道を右折。バイパスや高速道路の下を直進します。
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亀光山 釈迦院 金泉寺

【御詠歌】
極楽の宝の池を思ただ
黄金の泉すみたたえる

弁慶の力石伝説

源義経は平家追討の命を受け、讃岐国屋島に向かう途中、金泉寺に立ち寄り、戦勝開運の祈願をしました。
その時、家来の弁慶がこの巨石を持ち上げたと伝えられています。※画像1

大師堂

※画像2

金泉寺の歴史・由来

聖武天皇(在位724〜49)の勅願により行基菩薩が寺塔を建立し、「金光明寺」と命名されたと伝えられる。そのころの本尊は高さ約91センチの釈迦如来像で、脇侍に阿弥陀如来、薬師如来の三尊像を安置して開基したという。弘仁年間(810〜24)になって弘法大師が四国を巡教された際、村の人たちが日照りに苦しんでいるのを見て、この地に井戸を掘られた。この井戸から湧き出た水は霊水で、「長寿をもたらす黄金の井戸」とされ、寺名の「金光明寺」を改め、「金泉寺」とした。その後、亀山天皇(在位1259〜74)が法皇になられ、弘法大師を篤く信仰されて各地の霊跡を巡拝、金泉寺にもしばらく滞在された。

その間に、京都の三十三間堂(蓮華王院)に倣ならった堂舎を建立し、1,000の千手観音像を祀られ、背後の山を「亀山」と命名し、山号も「亀光山」と改めた。この堂舎には経蔵がおかれ、学僧たちで賑わったという。以来、皇室との縁が深く、長慶天皇(在位1368〜83)の御陵も本堂裏にある。また、源平合戦(元暦2年=1185)のおり、源義経が屋島に向かう途中に金泉寺に立ち寄り、戦勝開運の祈願をしたと『源平盛衰記』に伝えられている。本堂の左手にある慈母観音子安大師は、義経の祈願所ではあるが、境内西隣にある「弁慶石」もその一つで、義経が弁慶の力試しに持ち上げさせたと伝えられている。すこやかに育てと願う親心の観音菩薩。いまも人生の開運を願う参詣者が多く訪れる。

金泉寺の見どころ

  • 沙羅双樹(さらそうじゅ)・熊蜂(くまんばち)

第3番札所 亀光山 釈迦院 金泉寺
(きこうざん しゃかいん こんせんじ)

宗派
高野山真言宗
本尊
釈迦如来(伝行基作)
開基
行基菩薩
創建
天平年間(729〜749)
真言
のうまく さんまんだ ぼだなん ばく

アクセス情報

所在地
〒779-0105 徳島県板野郡板野町大寺字亀山下66
電話
088-672-1087
駐車場
普通14台・大型3台・終日・無料
宿坊
なし
公式HP
なし

藍住インターチェンジから、県道1号線を板野町方面へ進み、次に県道12号線を鳴門市方面、県道1号線へ。走っていると標識が現れるのでその通りに進んでいきます。
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日照山 無量寿院 極楽寺

【御詠歌】
極楽の弥陀の浄土へ行きたくば
南無阿弥陀仏口ぐせにせよ

仏足石

釈迦が石の上の説法をすると、石に足形が残ったとされるもので、本堂階段の登り口にある。※画像1

願掛け地蔵

仁王門をくぐった左手にあり、
お地蔵さんの真言を唱え、自分も精進努力すれば不思議なご利益があるとされる。※画像2

極楽寺の歴史・由来

行基菩薩の開基と伝えられているが、弘仁6年(815)、42歳の弘法大師がこの地で三七日間『阿弥陀経』を読誦し、修法された。その結願の日に、阿弥陀如来が出現したので、大師はその姿を彫造して本尊とされた。この阿弥陀如来像は、尊容が美しく、発する光は遠く鳴門の長原沖まで達したという。漁民たちは、漁の妨げになると本堂の前に人工の小山を築いて光を遮ったという故事から、「日照山」と号した。その後、天正年間(1573〜92)に長宗我部元親の兵火で焼失したが、万治2年(1659)、本堂は蜂須賀光隆公の援助によって再建されている。

三方を山に囲まれた閑静な境内で、朱塗りの仁王門をくぐると極楽浄土をイメージしたような庭園が広がる。44段ほどの石段をのぼった正面に本堂がある。その右手奥が大師堂で、この大師像は「安産大師」とも呼ばれている。大師が流産ばかりする夫人に加持祈祷したところ、即座に子宝に恵まれたという由縁によるもので、安産祈願に霊験があるとされている。弘法大師お手植えとされる「長命杉」は、樹齢1200年あまり、高さが約31メートル、周囲約6メートルもある霊木である。触れれば家内安全ばかりか、病気平癒、長寿も授かるといわれる。鳴門市の天然記念物に指定されている。千古の風雪に耐えてきた巨杉だけに、巡礼の折にはぜひ触れてみたい。

極楽寺の見どころ

仏足石・願掛け地蔵・寺宝(本尊・阿弥陀如来像は秘仏)

極楽寺の年中行事

花祭り(お釈迦様の誕生日)
日時:新暦4月8日

場所:極楽寺境内 仏足石前
水子法会
日時:秋彼岸中日 9月23日10時
場所:極楽寺境内 水子地蔵前
除夜の鐘
日時:12月31日 午後11時50分
場所:極楽寺境内 鐘楼堂

第2番札所 日照山 無量寿院 極楽寺
(にっしょうざん むりょうじゅいん ごくらくじ)

宗派
高野山真言宗
本尊
阿弥陀如来(伝弘法大師)
開基
行基菩薩
創建
奈良時代(710〜793)
真言
おん あみりた ていせい からうん

アクセス情報

所在地
〒779-0225 徳島県鳴門市大麻町檜字段の上12
電話
088-689-1112
駐車場
普通40台・大型6台・無料
宿坊
あり(150人)
公式HP
http://www.ca.pikara.ne.jp/gokurakuji/

藍住インターチェンジから、県道1号線を板野町方面へ進み、次に県道12号線を鳴門市方面へ走ると左手にあります。
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笠和山 一乗院 霊山寺

【御詠歌】
霊山の釈迦のみ前にめぐりきて
よろずの罪も消え失せにけり

多宝塔

天正年間(1573年〜1592年)に長宗我部元親の攻撃で炎上した堂塔は、再建後も明治24年(1891年)に多宝塔を残し2度目の消失をする。

応永年間(1394年〜1428年)に建立した多宝塔は600年近い歴史を持ち、五智如来が祀られている。※画像1

縁結び観音

縁結び観音は男女の縁結びだけでなく、「健康との縁」や「仕事との縁」、「幸せとの縁」など様々な縁結びにご利益があるとされている。

お賽銭だけではなく、水でお清めをしながら祈ることで功徳が得られると言われている。※画像2

霊山寺の歴史・由来

四国八十八ヶ所霊場の全行程はおよそ1460キロ、365里におよぶ。この霊場を札所番号の順に巡拝する遍路には、ここが「発願の寺」、「同行二人」の長い旅となる。縁起によると、聖武天皇(在位724〜49)の勅願により行基菩薩が開創された。弘仁6年(815)、弘法大師が四国の東北から右廻りに巡教された際、この地で衆生の88の煩悩を浄化し、また衆生と自らの厄難を攘はらって、心身の救済ができる霊場を開こうと37日間の修法をされた。その時、仏法を説く一老師をたくさんの僧侶が取り囲み、熱心に耳を傾けている霊感を得た。大師は、その光景が天竺(インド)の霊鷲山で釈迦が説法をしていた情景と似ていると感じとり、インドの霊山を和国(日本)に移す意味で「竺和山・霊山寺」と名づけられた。

このときの念持仏が釈迦誕生仏像であり、本尊の前に納められたことから四国八十八ヶ所の第一番札所とさだめ、霊場の開設・成就を祈願されたと伝えられる。誕生仏は白鳳時代の作で、身の丈約14センチ余の小さな銅造である。往時は阿波三大坊の一つとされ荘厳な伽藍を誇った。しかし天正10年(1582)、長宗我部元親の兵火により堂塔は全焼した。その後、阿波藩主・蜂須賀光隆公によってようやく復興したが、明治24年(1891)には出火により本堂と多宝塔以外の堂宇を再び焼失している。以来、100年の努力で往時の姿となっているが、おおかたが近年の建物である。別格本山。地の利を生かした寺観の配置は妙で美しく、お遍路さんに彩りを添えている。

霊山寺の見どころ

一番札所

長い遍路の旅には、途中で困らないように、また、他人に迷惑をかけないなど、万全の用意が大事である。とくに最初の札所では、こころの準備をととのえることが大切であるといえる。

その他

  • 多宝塔(応永年間(1394〜1428)の建造で、五智如来像が祀られている。)
  • 明治の庭(大師堂の北側にある。お遍路をはじめる「発願の寺」を象徴している。)

霊山寺の年中行事

正月護摩祈祷
日時:1月1日〜3日

星祭り・厄除け祈祷
日時:2月3日
接待講
日時:2月21日〜末日
釈迦誕生日・青葉祭り・花祭り
日時:4月第1日曜日
大師誕生日・青葉祭り
日時:6月15日
護摩供養
日時:毎月1日
御影供
日時:毎月21日

第1番札所 竺和山 一乗院 霊山寺
(じくわざん いちじょういん りょうぜんじ)

宗派
高野山真言宗
本尊
釈迦如来
開基
行基菩薩
創建
天平年間(729〜749)
真言
のうまく さんまんだ ぼだなん ばく

アクセス情報

所在地
〒779-0230 徳島県鳴門市大麻町板東塚鼻126
電話
088-689-1111
駐車場
普通100台・バス10〜20台・無料
宿坊
なし
公式HP
なし

藍住インターチェンジから、県道1号線を板野町方面へ進み、次に県道12号線を鳴門市方面へ走ると左手にあります。
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